2021.01.12 02:00師イエズス修道女会との関係――福者ジャッカルド神父の生涯(51) アルベリオーネ神父が三番目に創立した修道会は「師イエズス修道女会」であるが、その創立構想は、すでに司祭になった次の年には立てられていた。創立者はこう書いている。「1908年に、私は三つの使徒職、つまり聖体・典礼・司祭職への奉仕のために、聖別奉献し、使徒としての観想生活に専念する一家族が生まれるようにと祈り始め、他の人にも指示しました。こ...
2020.12.14 23:39創立者と協働して――福者ジャッカルド神父の生涯(49) 第二次世界大戦終結の翌年の1946年(昭和21年)カノニコ・キエザ神父の死去から3ヵ月後の9月の終わりころのことである。アルベリオーネ神父は、二人の顧問たちと一緒に、自家用車でローマからアルバへ向けて出発した。ティモテオ神父を説得して、聖座付代表者(パウロ家とその会員の諸問題について、聖座との折衝に当たる役員)になってもらうためである。...
2020.12.07 23:37恩師の逝去――福者ジャッカルド神父の生涯(48) 第二次世界大戦終了の翌年の1946年6月14日、アルバ神学校の最愛の恩師カノニコ・キエザ神父が亡くなった。カノニコ・キエザ神父は、ティモテオ神父に限らず、パウロ家にとって偉大な恩人であり、賢明な助言者であり、後援者であった。 司祭としての霊性と広範な知識(哲学・進学・教会法・民法の博士)とをもって、神学校をはじめ教区や諸修道会に数知れな...
2020.12.01 23:36司祭職二十五周年――福者ジャッカルド神父の生涯(47) 戦時下の1944年10月19日、ティモテオ神父は司祭叙階の銀祝を迎えた。派手なことはできなくとも、温かい心を込め、パウロ家を挙げてお祝いした。その時にティモテオ神父の述べた感謝の言葉は、霊的遺言にも値する貴重なものである。 あなた方は孝行心と兄弟愛から、私の司祭叙階25周年を祝ってくださろうとしています。ミサをささげる前に、次のことをあ...
2020.11.24 23:35創立者とともに教皇謁見――福者ジャッカルド神父の生涯(46) 厳しい戦時下において、パウロ家にはきわめて大きな明報がもたらされた。1941年(昭和16年)5月5日付けで、聖パウロ会が教区法による修道会から念願の聖座法による修道会に昇格したというニュースである。ティモテオ神父は、創立者アルベリオーネ神父の手足となって、教区法による修道会昇格(『アルベリオーネ神父』207~211ページ参照)の際にも、...
2020.11.17 23:33脱走兵への憐れみ――福者ジャッカルド神父の生涯(45) 1945年(昭和20年)5月のドイツの降伏までの数ヵ月間の話である。アルバでの市街戦が激化している最中に、一兵士が“聖パウロ会の修道院に保護してくれないか“と、院長に頼み込んできた。この青年は以前から聖パウロ会に出入りしていて、「退役した暁には、聖パウロ会の修道士になりたい」と院長に話していた。院長としては“この脱走兵の望みをかなえてあ...
2020.11.10 23:32第二次世界大戦の嵐――福者ジャッカルド神父の生涯(44) 第二次世界大戦(1939~1945)に巻き込まれたパウロ家の全体像は、拙者『アルベリオーネ神父』の239~249ページに詳述したので、そちらを参照していただくとして、本書では、それ以外のティモテオ院長の戦争体験を述べてみよう。 戦争末期の1944年(昭和19年)の夏から45年にかけて、イタリア戦線は、南部から北部のアルバあたりまで北上し...
2020.11.04 23:30思いやりのある矯正法――福者ジャッカルド神父の生涯(43) 真心のこもった愛情があれば、相手の不足を親身になって矯正するであろう。したがって、相手のためになる矯正は、愛徳の一面といえよう。ティモテオ神父の場合、自分の受けた矯正については、前に、「叱責の受け止め方」の項でふれたが、今度は、他人への矯正の仕方がどうであったか、具体的に記述してみよう。 アルバ修道院で雇われていた建築設計技師は、ティモ...
2020.10.26 23:28何よりも愛徳――福者ジャッカルド神父の生涯(42) ティモテオ・ジャッカルド神父の人柄の中核をなすものは、何といっても、その優れた愛徳であろう。聖パウロは、ほかのどんな優れた特技があろうと、どんな財産があろうと、どんなに外見がよかろうと、愛徳がなければ、人としての価値はなきに等しい、まで言い切って、愛徳とは何かを描写している。「たとえ、あらゆる知識に通じていようとも、……愛がなければ、無...
2020.10.20 23:27家庭的雰囲気づくり――福者ジャッカルド神父の生涯(41) ティモテオ院長は、以上の仕事のほかにも、創立者の首席顧問として年に何回もローマとアルバの間を往復し、国際化したパウロ家の支部からの諸問題の解決に取り組む一方、教会や市町村の当局物たちとの交渉に駆け回り、パウロ家の修道士・修道女・在俗会員たちの霊的指導などにも忙殺されていた。 それでも、ティモテオ院長は母院の人たちの生活指導を何よりも心に...
2020.10.12 23:25使徒職生活のアニメーター(清貧)――福者ジャッカルド神父の生涯(40) 修道清貧とは、神に自己を完全に委託することであり、キリストや人びとを愛するために、この世の財産から離脱することである。ティモテオ院長は常日ごろ、創立者の考えている清貧について次のように解釈し、率先してこれを日常生活の中で実践していた。「観想修道会は、イエス・キリストの身になって、断食、粗衣、むち打ちを神にささげす。真の聖パウロ会会員は、...
2020.10.02 11:58使徒職生活のアニメーター(使徒職)――福者ジャッカルド神父の生涯(39) ティモテオ院長は、“使徒職の効果を上げるためには、本会の創立の原点に戻り、愛徳に燃えた生き方を再現させることである“と強調して、次のように述べている。「……使徒職の成果は、創立当初から学んできた生き方を大事にして、それを懸命に引き継いていけばいくほど、ますます上がり、満足のいくものになるでしょう。……刊行物の使徒職は、すべての使徒職に入...