ティモテオ・ジャッカルド神父の諸徳――福者ジャッカルド神父の生涯(54)
ティモテオ神父の列福手続きの際に、彼と生活をともに人たちの証言によって、あるいは何らかの関係で彼と接触した大勢の人びとの証言によって、種々の徳が明らかにされている。本書の中でもその幾分かを紹介してきたが、その内心の全貎は神のみぞ知るところである。ここでは、ティモテオ神父の諸徳のうちで特に目立っているものを列挙してみよう。
パウロ家の創立者に忠実に協力した。この際にも、神の栄光のため、自己の聖化と人びとの聖化のみを求めて生活した。
- ティモテオ神父は、自分の修道会の中で神に忠誠を尽くしながら生活することに よって、天職をきわめて謙虚に果たしながらも、高い聖徳に到達できることを実証した。
- ティモテオ神父は、自分の修道会のために全エネルギーを使い果たした。その際にも、その功績はいつも他の人のものとし、パウロ家と創立者のために、自己をいけにえにささげるほどまでになった。また、師イエズス修道女会が教会法によって認められるようにと、自己の生命をささげた。
- ティモテオ神父は常に創立者の脇役に甘んじ、その精神と指導に従い、これを伝えることに力を尽くした。
- ティモテオ神父は、教育者の責務をよくわきまえた、ほんとうの先生であった。時には強く、時には優しく人に接して、教育の方法に関しても明るい方であった。
- ティモテオ神父は、日々の生活を聖化することに努めた。小さなことも大きなことも、自分の義務であれば゛少しもおろそかにせず、超自然的愛を実行し、謙虚な、控え目なキリストに似ることに努めた。
- ティモテオ神父は、「私の代わりにキリストが生きている」とか「生きているのはもはや私ではなくて、キリストこそ私の中に生きている」といったパウロ的霊性を自分のよりどころとし、目的ともして、これをわが身に具現した。
- ティモテオ神父は、教会と奉献・使徒的生活会省当局に神の意志があるという信仰から、これを忠誠を尽くして、司祭の手本、修道者の模範となった。
- ティモテオ神父は、生前獲得したあらゆる徳の基礎は非の打ちどころのない従順であることを、身をもって実証した。
- ティモテオ神父は若い時から敏感な感性を持っており、教皇庁の文書を通りいっぺんに読むよりも、これについてじっくり考えることを努め、教会と社会から求められていることをいち早く察知した。
- ティモテオ神父は仕事だけに打ち込む危険を予知し、仕事と観想とをみごとに調和させて、実り多い生活をした。
- ティモテオ神父は申し分のない祈りの人であったが、これに加えて、あらゆる回想の人の霊的指導も十分にこなせたという点で、司祭全員の手本でもある。
- ティモテオ神父は、第二ヴァチカン公会議を先取りして、マス・メディアによる信心など゛を、現代に則して幅広く実践していた。
ティモテオ神父は、人間としての免償でも、霊的な免償でも、司祭・修道者の手本になり、その上、だれにでもできる現代向きの生活を立派に聖化したという点で一般信徒の手本である。
- ティモテオ神父は、毎日良心の糾明をきちんと実行し、不足を補うよう絶えず努力し、克己に努めていた。口先だけにとどまらず、生涯をかけて他の人に奉仕した。
- 信・望・愛や賢明・勇気などの徳、および福音的勧告を英雄的に実践した。
- キリストのように謙虚になり、徹底的に従順して、自己をいけにえとしてささげるまでになった。
ティモテオ神父の考え方や生き方は、並外れた、目を見張るようなものでなく、だれでも日常生活の中で実行できるという点で、あらゆる観想の人びとの手本になる。
言い換えれば、「日常茶飯事を超自然化する」こつを、ティモテオ神父の何気ない話し方やしぐさの中に見いだすことができるのである。
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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