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美しい逝去――福者ジャッカルド神父の生涯(52)

 ティモテオ神父は、病床に伏してから十日間、じっと祈り続けていた。ティモテオ神父がアルベリオーネ神父に伝えたところによれば、「他の人から見れば眠っているような時でも、私は、美しい死の準備をしながら、心で祈り続けています」ということであった。同年1月22日の朝、アルベリオーネ神父は、ティモテオ神父の病床のそばにしつらえてあった小祭壇でミサをささげ、臨終の最愛の息子にご聖体を授けた。ティモテオ神父は拝領後、しばらく目を閉じて祈っていたが、ミサが終わると、付き添っていたシスター・ルチア・リッチに「『イェズ・コロナ・ヴィルジヌム(童貞者たちの頭、イエスよ)』という賛歌を唱えましょう」と頼んだ。ティモテオ神父は、「イエスを宿した母」というくだりで目を開き、高いところを眺めてから再び目を閉じた。

 この日の夕方、ティモテオ神父は心不全に陥り、これで最期かとおもわれたが、しばらくして鼓動が戻った。ローマ修道院の兄弟会員たちは、列を作ってティモテオ神父を見舞い、その手に接吻して、心の中では“天国でまた会いましょう“と挨拶していた。アルベリオーネ神父はティモテオ神父を抱き、涙を浮かべながらこう言うのだった。「お前はいつも、気立ての優しい、がんばり屋の息子だったよ」と。

 1月24日、土曜日、ティモテオ神父にとっては、この世での最後の日となった。ティモテオ神父は、いつものように寝室に隣接した書斎でミサにあずかり、ご聖体を拝領し、胸に両手を重ねてまどろんでいた。ミサが終わって寝室に移されたティモテオ神父は、目を覚ましたかのように周りを見回してから、ラテン語を交えた華やかな口調でこう尋ねた。「私はどこにいるのですか? 信者さんたち(Coetu fidelium)はどこですか? 皆さん方(Conventus animarum)は? 他の人と一緒に聖所内に(in limine sacro )おられないのですか?」と。

 ラメラ神父の解釈によれば、ここでは使わない用語は、つまり「信者さんたち」も「皆さん方」も天国に入った人たちを意味し、「聖所内に」は天国に入るという意味である。

 正午に、近くの聖パウロ大聖堂の鐘が鳴り響くころ、ティモテオ神父は付き添いの人たちと一緒に「お告げの祈り」を唱えた。やがて呼吸困難となり、脈拍も途切れがちになった。臨終のティモテオ神父は、プリモ・マエストロから再びゆるしを受けている間に、付き添いの神父の片手を握り締めながら十字架の接吻していた。ところが、何かに取りつかれたかのように両目を大きく見開き、そして無表情になり、ついに息絶えた。午後1時20分のことであった。最期を見取った兄弟会員たちは一斉にひざまずき、その冥福を祈るのであった。享年52歳、燃焼し尽くした人生であった。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。


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