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走るべき道を走り尽くす――福者ジャッカルド神父の生涯(52)

 第二次世界大戦終結後3年目に当たる1948年(昭和23年)1月12日、ティモテオ神父たちによる努力が実って、教皇ピオ十二世は師イエズス修道女会を聖座法に、よる修道会に昇格させた。52歳のティモテオ神父は、この喜ばしいニュースを聞いて大いに満足したが、この日が最期のミサとなった。イタリア支部の視察旅行に加え、毎日の山積した問題処理のため、心身ともに過労気味になり、腰痛も加わり、人手を借になければ歩くことさえ困難になったからである。最初はリューマチと誤診され、その後、レントゲンを含めた精密検査の結果、末期の白血病と診断されたのである。

 同年1月18日、アルベリオーネ神父は、この重病をティモテオ神父に伝え、病者の塗油の秘跡を受けるように勧めた。ティモテオ神父は突然のことで様子であったが、一瞬祈るかのように目を伏せ、それから目を上げて、アルベリオーネ神父にこう嘆願したのである。「ゆるしの秘跡をいただいて、ご聖体を拝領させていただけませんか。それから誓願を更新させてください……。私は別のことを考えていましたが、しかし、あなたのおっしゃるとおりにいたします。あなたは、私の一生の間、いつも私のためになるように計らってくださったからです」と。

 ゆるしの秘跡が終わると、ティモテオ神父はアルベリオーネ神父を抱き締め、接吻してから、見舞いに来ていた人たちに向かって、こう語った。「私は、あなた方全員かに借りがあります。というのも、私にとって皆さんは兄弟・姉妹・母であったからです」。

 アルベリオーネ神父は、パウロ家の全員にちティモテオ神父の重態を知らせ、今は医学の範囲を越え、奇跡的回復を祈るほかはないと伝えた。このことを知った多くの人から献血の申し出があり、できることならティモテオ神父の身代わりになりたいという人さえいた。それを聞いたティモテオ神父は、「どうぞ奇跡を願ってください。神のみ旨のままになりますように」と、苦しい息づかいの中から答えるのであった。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年

※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。


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