2021.03.05 00:30福者ティモテオ・ジャッカルドの取り次ぎによる奇跡――福者ジャッカルド神父の生涯(終)シスター・マリア・ルチアーナ・ラッザリーニの全快 シスター・マリア・ルチアーナ・ラッザリニは、1928年7月7日に、クオネ県のプラッツォ(Prazzo)に生まれた。1943 年、北イタリアアルバの師イエズス修道女会母院に入会した。この年から初誓願までの4年間、ティモテオ神父から人間としての、キリスト信者としての、修道女としての、パウロの弟...
2021.02.26 01:00列福手続きの過程――福者ジャッカルド神父の生涯(55)1955年6月8日 故ティモテオ神父に関する列福手続きがローマ教区裁判所で開始され、聖者のほまれ高い生活、徳、故人の履歴、著作物などに関する情報・資料の収集が始められた。これにより、「神のしもべ」となった。12月9日 教皇代理・ミカラ枢機卿が、故人の著作物審査令状に署名した。1957年6月19日 ローマ教区裁判所において、情報に関する一般...
2021.02.15 01:00ティモテオ・ジャッカルド神父の諸徳――福者ジャッカルド神父の生涯(54) ティモテオ神父の列福手続きの際に、彼と生活をともに人たちの証言によって、あるいは何らかの関係で彼と接触した大勢の人びとの証言によって、種々の徳が明らかにされている。本書の中でもその幾分かを紹介してきたが、その内心の全貎は神のみぞ知るところである。ここでは、ティモテオ神父の諸徳のうちで特に目立っているものを列挙してみよう。 パウロ家の創立...
2021.02.08 01:00いかに愛されていたか――福者ジャッカルド神父の生涯(53) 人の価値はその死後にわかるといわれるが、ティモテオ神父の場合は、そのスケールの大きさといい、諸徳の輝きといい、計り知れないものがある。「ティモテオ神父死す」との知らせは、たちまちのうちに、全世界のパウロ家の人たちはもちろんのこと、教会関係者、親戚、恩人、知人、友人の間に駆け巡った。「聖人が亡くなった」と言う人も多かった。 ティモテオ神父...
2021.02.01 01:00美しい逝去――福者ジャッカルド神父の生涯(52) ティモテオ神父は、病床に伏してから十日間、じっと祈り続けていた。ティモテオ神父がアルベリオーネ神父に伝えたところによれば、「他の人から見れば眠っているような時でも、私は、美しい死の準備をしながら、心で祈り続けています」ということであった。同年1月22日の朝、アルベリオーネ神父は、ティモテオ神父の病床のそばにしつらえてあった小祭壇でミサを...
2021.01.27 07:00走るべき道を走り尽くす――福者ジャッカルド神父の生涯(52) 第二次世界大戦終結後3年目に当たる1948年(昭和23年)1月12日、ティモテオ神父たちによる努力が実って、教皇ピオ十二世は師イエズス修道女会を聖座法に、よる修道会に昇格させた。52歳のティモテオ神父は、この喜ばしいニュースを聞いて大いに満足したが、この日が最期のミサとなった。イタリア支部の視察旅行に加え、毎日の山積した問題処理のため、...
2021.01.12 02:00師イエズス修道女会との関係――福者ジャッカルド神父の生涯(51) アルベリオーネ神父が三番目に創立した修道会は「師イエズス修道女会」であるが、その創立構想は、すでに司祭になった次の年には立てられていた。創立者はこう書いている。「1908年に、私は三つの使徒職、つまり聖体・典礼・司祭職への奉仕のために、聖別奉献し、使徒としての観想生活に専念する一家族が生まれるようにと祈り始め、他の人にも指示しました。こ...
2020.12.14 23:39創立者と協働して――福者ジャッカルド神父の生涯(49) 第二次世界大戦終結の翌年の1946年(昭和21年)カノニコ・キエザ神父の死去から3ヵ月後の9月の終わりころのことである。アルベリオーネ神父は、二人の顧問たちと一緒に、自家用車でローマからアルバへ向けて出発した。ティモテオ神父を説得して、聖座付代表者(パウロ家とその会員の諸問題について、聖座との折衝に当たる役員)になってもらうためである。...
2020.12.07 23:37恩師の逝去――福者ジャッカルド神父の生涯(48) 第二次世界大戦終了の翌年の1946年6月14日、アルバ神学校の最愛の恩師カノニコ・キエザ神父が亡くなった。カノニコ・キエザ神父は、ティモテオ神父に限らず、パウロ家にとって偉大な恩人であり、賢明な助言者であり、後援者であった。 司祭としての霊性と広範な知識(哲学・進学・教会法・民法の博士)とをもって、神学校をはじめ教区や諸修道会に数知れな...
2020.12.01 23:36司祭職二十五周年――福者ジャッカルド神父の生涯(47) 戦時下の1944年10月19日、ティモテオ神父は司祭叙階の銀祝を迎えた。派手なことはできなくとも、温かい心を込め、パウロ家を挙げてお祝いした。その時にティモテオ神父の述べた感謝の言葉は、霊的遺言にも値する貴重なものである。 あなた方は孝行心と兄弟愛から、私の司祭叙階25周年を祝ってくださろうとしています。ミサをささげる前に、次のことをあ...
2020.11.24 23:35創立者とともに教皇謁見――福者ジャッカルド神父の生涯(46) 厳しい戦時下において、パウロ家にはきわめて大きな明報がもたらされた。1941年(昭和16年)5月5日付けで、聖パウロ会が教区法による修道会から念願の聖座法による修道会に昇格したというニュースである。ティモテオ神父は、創立者アルベリオーネ神父の手足となって、教区法による修道会昇格(『アルベリオーネ神父』207~211ページ参照)の際にも、...
2020.11.17 23:33脱走兵への憐れみ――福者ジャッカルド神父の生涯(45) 1945年(昭和20年)5月のドイツの降伏までの数ヵ月間の話である。アルバでの市街戦が激化している最中に、一兵士が“聖パウロ会の修道院に保護してくれないか“と、院長に頼み込んできた。この青年は以前から聖パウロ会に出入りしていて、「退役した暁には、聖パウロ会の修道士になりたい」と院長に話していた。院長としては“この脱走兵の望みをかなえてあ...