2020.09.28 01:09香港――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(11) (ムンバイ)に別れを告げた「コンテ・ヴェルディ号」は、インド半島に沿って南に向かった。アフリカからインドまで、およそ一千キロの航海をした。もう海に対してそれほど不安はなかった。なぜなら船はインド大陸の左岸に沿って航行し、その右側には時折、人けのない孤島が見え隠れしていたからである。 私たちはもう、波の音や上下に揺れる船の動きにすっかり慣...
2020.09.25 11:57使徒職生活のアニメーター(勉強)――福者ジャッカルド神父の生涯(38) ティモテオ院長は、学生時代はもちろんのこと、司祭になってからも自分の継続養成に勤め、後輩たちの教育にも心を砕いた。“信心業さえしっかりやっていれば、神から普通の知識も自動的に与えられる“というような幻想にはまどわされず、自他の教養や知識の工場は各自の自発的な努力と有識者からの指導によって達成されることをよく心得ていた。もちろん、勉強の目...
2020.09.18 01:03ついにインドに!――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(10) 二、三日の航海の後、「コンテ・ヴェルディ号」は人口が二百五十万の大都会ボンベイ(現在のムンバイ)の港に着いた。私たちは褐色の肌をした人々が群れをなして、忙しく、そして目まぐるしく生活している大きな都市というものを、これまで見たことがなかった。 インドに足を踏み入れたことで、東洋における私たちの宜教の冒険がついに始まったのである。地理的に...
2020.09.17 11:55使徒職生活のアニメーター(信心)――福者ジャッカルド神父の生涯(37) さて、ティモテオ神父はアルバの院長として、具体的に、どのような活動をしたのであろうか? 聖パウロ会の現行の会憲178条に「院長の主要な任務は、兄弟会員をして……共同体の中で修道者としての使徒職生活を促進させることである」とある。この「修道者としての使徒職生活」の中には、創立者アルベリオーネ神父の強調する四つの車輪「信心・勉強・使徒職・清...
2020.09.14 00:25「恵みを与えてくれる神に感謝!」 高木進修道士 神さまは、いつもその時その時に応じて、その人に必要な恵みを与えてくれます。 昨年の秋、定期検診で見つかった直腸がんの内視鋭切除とS状結腸がんの摘出手術を行うため、年末まで入院しました。この予期せぬ入院生活は、修道生活50余年を振り返るための神さまからの贈りものとして感謝しています。 修道会に入る契機を作ってくれたのも一つの病気からです。...
2020.09.11 01:02極東への船旅 ポート・サイド(エジプト)――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(9) 巨船「コンテ・ヴェルディ号」は大勢の乗客を乗せて、トリエステからブリンディジに入港した。乗客たちの中には、インド、中国(当時の支那)、フィリピン、オーストラリアなど、さまざまな国へ向かう十数人のイタリア人宣教師と宣教女たちがいた。しかし、日本を目指す人は一人もいなかった。マルチェリーノ神父と私は、神にすべてをお任せするほかはなかった……...
2020.09.09 11:53叱責の受け止め方――福者ジャッカルド神父の生涯(36) 一般に、人は自尊心を傷つけられるとカーッとなって反論したくなる。ジャッカルド神父の受け止め方は違っていた。 ある日のこと、ある会員は院長のやり方が気に食わず、鬱憤晴らしに院長室へやって来た。ティモテオ神父はいつものとおり、快く迎え入れて、じーっと話に聞き入った。しばらくすると、その会員は自分を抑えきれなくなって、とうとう言ってしまった。...
2020.09.07 00:30「『シノドス的なあり方』を目指して」 澤田豊成神父 近年、教皇フランシスコはひんぱんに「シノドス的なあり方」という表現を使い、これこそ教会が目指すべき姿であると言います。「シノドス」というと、わたしたちはまず「世界代表司教会議」のことを思い浮かべるかもしれませんが、もともと「シノドス」という言葉は、ギリシア語で「ともに歩む道」という意味を持っています。「シノドス的なあり方」というのは、一...
2020.09.03 01:01イタリアとの永き別れ――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(8) 大西洋横断客船の甲板に立って、無情にも遠ざかっていく祖国イタリアに別れを告げながら、私は深い感動を抑えることができなかった。自尊心のためかろうじて涙は流さなかったが、勇気ある人のように冷静に振る舞いながらも、内心は別れたばかりの祖国に対するノスタルジアが切々と込み上げてくるのだった。 私たちの慰めとなったのは、この派遣という出来事が「神...
2020.09.02 11:52院長としての心得――福者ジャッカルド神父の生涯(35) 1936年6月10日、アルベリオーネ神父は、聖パウロ会の本部をアルバ修道院からローマ修道院に移した。それ以後、ティモテオ神父はアルバに呼び戻され、46年までアルバ母院の院長職を務めることになった。この十年間が、ティモテオ神父の生涯で、40歳代のもっとも活動的な、油が乗った時期であった。 (話は前後するが、ティモテオ神父には、1930年の...