「恵みを与えてくれる神に感謝!」 高木進修道士
神さまは、いつもその時その時に応じて、その人に必要な恵みを与えてくれます。
昨年の秋、定期検診で見つかった直腸がんの内視鋭切除とS状結腸がんの摘出手術を行うため、年末まで入院しました。この予期せぬ入院生活は、修道生活50余年を振り返るための神さまからの贈りものとして感謝しています。
修道会に入る契機を作ってくれたのも一つの病気からです。当時は、医療機器が今日のように進歩していなかったので「腎臓結石」と診断されるまで、入院から三週間余りを要しました。結果的には一ヶ月半の入院生活を強いられることになりましたが、自分の将来を識別する良い機会を与えられたわけです。
奇しくも結婚生活の準備をしていた時でしたので、病気という恵みによって、心に潤いの時間を与え、すべてを放棄し、神の恵みに従うという使徒的使命の道を示してくださったのです。この道は、決して今までの生活体験を無にすることなく、使徒職にプラスになっていると気づかされます。
主キリストは「あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだのである。私があなたたちに使命を与えたのは、あなたたちが出かけて行き、実をみのらせ、実を残すためであり……」と言っておられます。この言葉は、洗礼によってキリストの弟子となったすべての人に当てはまります。司祭・修道者への召き、家庭生活への召き……など、それぞれの人に合った生活を備えてくださっていることを意味します。選ばれた「時のしるし」を思い起こせば否定できません。
私たちの修道会は、使徒的生活の聖職者修道会であり、広報機関(メディア)を通して、救いのメッセージを普及する使命を負っています。教皇フランシスコは、使徒的勧告『キリストは生きている』で「現代のメディア文化によって助長される、中断や根を抜かれる経験、根本的な革新が崩れる経験は、孤児のような感覚を強く抱かせますので、圧いを兄弟と感じられる、生きがいをもって過ごすことのできる魅力的な場を作ることで、それに対抗しなければなりません。」
また「誰でもよく分かっていることですが、家族であるには全員の協力が必要です。一人ひとりがこの家を作り上げるために必要な石材なのですから、誰一人として、関係のない人、部外者であるはずがないのです。それには忍耐を覚え、互いにゆるし合うすべを身に着け、毎日新しく出発できる恵みを与えてくださるよう主に願うことが含まれます」と言っています。
私の受洗は、父の葬儀の日だったと聞きました。父は、戦争が始まる一年前まで伝道師をしていました。これを聞いて父が、宣教の使徒職を私に託したのかという気もします。小神学生を頭に、残された七人の子供たちを育てるために、母は人一倍の苦労を強いられたと思います。その母も私に聖職者の道に進むことを望んでいたようです。
一時期、養成担当にかかわったたこともありますが、私の使徒職は、教会・修道会での出張販売、一般書店の普及訪問、通信販売、普及促進の広告版下作りなど、主に宣教推進販売が中心です。今は必要なソフトを備えて、パソコンで広告版下作成をしています。
祈りにおいて、便徒職の関わりにおいて、肉親の兄弟家族、修道会の兄弟会員、パウロ家族と呼ぱれるシスター方、協力者会の方々……多くの人びとが、半世紀にわたり私を支えてくれていると思うと感謝で心が揺さぷられます。
冒頭で触れましたが、通院・人院生活の際に付き添ってくれた後輩、牧山康一修道士が、五月末46歳の若さで突然亡くなり驚きました。付き添った人が先に逝き、付き添われた者が残る「あとの者が先になり、先の者があとになる」ことばが現実になるとは! 神さまは追い越し禁止も気にせず、優しく召いてくださったようです。
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