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叱責の受け止め方――福者ジャッカルド神父の生涯(36)

 一般に、人は自尊心を傷つけられるとカーッとなって反論したくなる。ジャッカルド神父の受け止め方は違っていた。

 ある日のこと、ある会員は院長のやり方が気に食わず、鬱憤晴らしに院長室へやって来た。ティモテオ神父はいつものとおり、快く迎え入れて、じーっと話に聞き入った。しばらくすると、その会員は自分を抑えきれなくなって、とうとう言ってしまった。

 「院長をやめてください! そうすれば事態はもっとよくなりますよ……」と。

 院長は冷静に答えた。

 「それではプリモ・マエストロに手紙を書きましょう。『院長を辞めさせてください』とね」

 「そのとおり、そのとおり、手紙を出したください!」

 ティモテオ院長はペンを取って手紙を書き出した……。その時になってはじめて言い過ぎとわかり、きまり悪そうに院長室を出ていった。

 ティモテオ神父はその日のうちに例の会員を呼び(相手の)職務上の諸問題を処理することにした。……先のことは何もなかったかのように。

 ティモテオ神父は、失礼なことをされた時でさえ、だれに対しても恨みを抱かずに、次のように対処しようと決心していたのである。

 謙遜のしるしの一つは、矯正を快く受けたり(相手を)矯正したりすることです。たとえ傷つけられたとしても……。

 自己愛のしるしは反感を抱き、ののしり合うことです。私はどんな注意でも、どんな文句でも、どんな軽蔑の言葉でも、ありがたく受けるつもりです。気を悪くせず、言い訳をせず、仕返しをせずに、ほほえみながら(矯正の)実行を決心します。注意してくれる人は、少なくとも意向として確かに善意なのですから。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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