使徒職生活のアニメーター(信心)――福者ジャッカルド神父の生涯(37)
さて、ティモテオ神父はアルバの院長として、具体的に、どのような活動をしたのであろうか? 聖パウロ会の現行の会憲178条に「院長の主要な任務は、兄弟会員をして……共同体の中で修道者としての使徒職生活を促進させることである」とある。この「修道者としての使徒職生活」の中には、創立者アルベリオーネ神父の強調する四つの車輪「信心・勉強・使徒職・清貧」による前進が含まれている。その証拠に、ティモテオ院長はアルバに来てから、創立者より次の指示を受けていた。
「習得したとおり、信心、勉強、使徒職、清貧に気を配って進むようにしなさい。これは人間の意志によるものでなく、上手にこの生き方を解説し、それに沿って進んでいくようにすると、各修道院も、魂の救済も、使徒職の効果も、ますますよくなり、本物になるでしょう」(アルベリオーネ神父の手紙)。
「四つの車輪」については「パウロ家のカラー」の項で述べたが、ここでは、ティモテオ神父が、院長としての立場から創立者の指示に従って、当時会員と志願者を含め3百名以上いたアルバ修道院の中で、このカラーをどのように打ち出したかを見ていこう。
1 信心
「悔いあらための心を保ちなさい」創立者の霊夢の中でイエスから言われたこの勧めに従って、ティモテオ院長は若い時から死ぬまで「良心の糾明帳」に几帳面に内心の動きを書き留め、決心を守ったかどうか、欠点と戦いに勝ったかどうか、誘惑に対して予防策は何か……などを記入していた。これが、悔い改めて決心を新たにし、日常生活を改善していることを兄弟会員や志願者にも勧め、具体的に指導していた。彼は、こう言っていた。「良心の糾明をおろそかにする人は、責任ある地位につけません。実際に自己管理できない者が、どうして他人の管理ができるでしょうか?」と。
しかし、自分ひとり悔い改めるだけではたりない。その罪を神からゆるしていただくために、「ゆるしの秘跡」を受けなければならない。それで、ティモテオ院長は各グループごとに聴罪司祭を割り当てて、定期的に「ゆるしの秘跡」を受けられるようにした。さらに、霊的指導司祭をも任命して、いつでも、でれでも、気軽に霊的指導が受けるられるように配慮した。
信心のやり方については、ティモテオ院長は、年齢や各グループに応じていろいろあってよいと判断し、次のように述べている。「低学年の人びとの信心のやり方は、とりわけ個人指導が必要です。信念と祈り(を培うためです)。つまり、気を散らさずに黙想するように、努力して進歩するように、お祈りして神を愛するように、個人的に指導されなければなりません。修道生活を志望する若者たちの信心および哲学、神学生たちの信心は、一つにまとまったものであるべきで、しかも典礼を中心としたものであるべきです。ミニ・ミサ典書を使用して、自己奉献の精神や神への聖別奉献の精神、聖師との交流(注、聖書朗読や聖体拝領など)を保持すべきです」と。
「私はあなたたちと ともにいる。ここから照らそう」ティモテオ院長の信心生活の中心は、聖櫃にこもり、生き、活動しておられる聖師イエス・キリストであった。ここから生じる霊感や神の言葉に照らされて、自分の生活と宣教活動を吟味し、兄弟会員にも聖体訪問の重要さを身をもって示していた。ティモテオ院長は、1928年10月28日に献堂された聖パウロ大聖堂の師イエス・キリストに自分のありのままの姿をさらけ出し、聖師を賛え、聖師からの恵みに感謝し、自他の罪をゆるしを願い、自分の職務上の責任をよく果たし、聖師の模範に倣うための助けを願い求めていた。
特に修道士会員には週に一回「会憲」を教えていたが、次のように反復しながら、彼らの心に刻み込むように努めていた。「司祭だけがミサを立てることができるが、修道士は、その代わりに、聖体拝領をしたり聖体訪問をしたりして、聖パウロ会の司祭たちの活動を補うことができる」と。
また、ローマにいた創立者の1936年の指示に従って、毎月の第一日曜を“師イエス・キリストにささげる日“と定め、この日に月の静修を行い、ミサの後に聖体を顕示し、各グループごとに聖体礼拝ができるように配慮した。
このほか、ティモテオ院長は、第二ヴァチカン公会議の「典礼憲章」(1963年12月4日)を先取りして、1938年210月28日の日曜日に、聖パウロ会のアルバ大聖堂のパイプ・オルガンを祝別し、その儀式中に荘厳な祈りに加えてオルガン伴奏の聖歌を折り込んだ。彼は、オルガンの効用について、こう述べている。
「聖パウロは、『詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい』(エフェソ5,19)と、私たちに勧めています。ところで、歌は情操を高め、気休めにもなり、神に喜んで仕えるあかしにもなり、全員参加の祈りにもなります。オルガンは、パウロ家や協力者全員の歌声を一つに結び合わせて、神に感謝の賛歌をささげさせてくれます。……一致の絆であるオルガンは、共同の祈りを同じ音程にし、同じ心情にし、まるでひと塊の祈りのようにします。それで、ひとりの喜びは皆の喜びとなり、全体の苦しみは皆の励ましで和らげられるでしょう」
ティモテオ院長は、それ以後も、祝祭日や主日にはなるべくグレゴリアン聖歌を取り入れて、オルガン伴奏に合わせて荘厳に合唱するように工夫した。
さらに1941年8月20日、創立27周年記念日には、アルバ教区長グラッシ司教の司式で、母院の大聖堂の正面大祭壇の祝別式が行われたが、この製作の裏には、ティモテオ院長の並々ならぬ努力があった。1946年1月25日には、「聖パウロの栄光」という雄大な大理石が祝別された。これは祭壇背後の上面の壁を飾り、聖パウロが右人さし指で、その弟子たちに聖師を紹介している場面を強調している。
また、「聖堂のためにもっと美しいものを」というアルベリオーネ神父の精神にならって、高さ1メートル以上もある金・銀融合の豪華な聖体顕示台を作らせた。純銀の三段階台座には、聖師と使徒の女王と聖パウロの浮き彫りがある。後光の部分には、二位の天使が「神の栄光・人びとに平和」と記された巻き物の花綵装飾を支えている。ご聖体を安置する半月形部には高価な宝石がちりばめられ、聖パウロの「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテア3・28)という言葉が、ギリシヤ語原文で銘記されてある。
ティモテオ院長は口癖のように信心業の大切さを皆に説いたが、本人自身はどうだったか。人の目につくところでは確かに信心深そうだが、隠れたところではどうか? これを確かめるために、ある志願者は、夕やみに紛れ、小聖堂の告白室の近くに身を隠して、ティモテオ院長を待ち伏せした。ティモテオ院長は、たいていこの時刻に、一人で聖体訪問をしていたからである。「しばらくして、予想どおりティモテオ院長の足音が聞こえ、小聖堂に入ると、ていねいにゆっくりと片膝をついてから、かすかな光の聖体ランプわきの聖櫃近くにひざまずいて、頭を下げ、一心に祈り始めました。……小聖堂を出る時の様子もじっと見つめていました。私はこれで納得しました! ティモテオ神父様は、ご自分の説いていたことをほんとうに信じていたのです!」
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
- 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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