2020.10.30 01:12東京・三河島のサレジオ会で――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(15) 神戸はとても美しく住みよい、人口の多い都市だと私たちには感じられた。一九三四年十二月九日の午後から夕方まで、私たちは大きな喜びのうちに神戸に滞在した。 しかし当然ながら、私たちの思いは「最初のパウロ会修道院を設置するように」とアルベリオーネ神父がはっきり命じた、日本の首都・東京に向かっていた。真の福音の伝達者と同じく私たちも、「旅に際し...
2020.10.28 00:15「神様への手紙」 レ・ヴァン・ビエン修練者 東京は雨模様。神様、この頃私は人生に行き詰まつているような気がします。悩み、憂鬱、思いがけない出来事。今日も東京は雨です。街全体が灰色の雲に覆われているようです。もう東京に来て3回目の梅雨。私はこの土地に慣れ親しんでいると思いましたが、まだ新しいものをた<さん発見します。最近、私はまた不眠症にかかっています。天候のせいか、召命の旅のせい...
2020.10.26 23:28何よりも愛徳――福者ジャッカルド神父の生涯(42) ティモテオ・ジャッカルド神父の人柄の中核をなすものは、何といっても、その優れた愛徳であろう。聖パウロは、ほかのどんな優れた特技があろうと、どんな財産があろうと、どんなに外見がよかろうと、愛徳がなければ、人としての価値はなきに等しい、まで言い切って、愛徳とは何かを描写している。「たとえ、あらゆる知識に通じていようとも、……愛がなければ、無...
2020.10.24 03:12『たとえ話で祈る』 カトリック司祭ある著者の長い黙想指導の体験から得られたことは、霊性について語るとき、人は概念的に語りかけられるより、「たとえ話」のように具体的なことばで語りかけられる方が深く心にしみ入り、理解しやすいということであった。本書は、擬人化された動物や植物などの64の「たとえ話」をとおして、神が人間に求めておられる真実の愛とは何かを探る。●著...
2020.10.24 03:10『主日の福音を生きる〔B年〕 日々の生活をみことばとともに』 既刊本『主日の福音を生きる(C年)』に続く本書は、3年周期で読まれる主日の福音朗読に合わせて、今年の待降節第1主日から始まるB年に中心的に読まれるマルコ福音書に光をあてる。日曜日にミサの中で朗読される主のみことばを、その場で聞いて終わらせるのではなく、神が人に求められることを日常生活の中で絶えず思い起こし、自分自身の生き方をとおして証し...
2020.10.23 01:10日出ずる国――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(14) 日本は極東の偉大な国であり、北太平洋における最後の群島である。ロシアと中国の対岸に位置し、日本海が両国と日本を分けている。日本は大小四百の島々から成り、その中で大きなものが前述の四つの島である。総面積はおよそ三十七万三千五百三十六平方キロメートルで、わが祖国イタリアよりは少し広く、人口は一億二千万人に達する。教育が広く普及し、多くの日本...
2020.10.22 00:15「主よ、私たちにみ旨を行わせてください」 チュオング・グエン・ミン・ドゥック ポストランテ ペンテコステ(聖霊降臨)のミサの途中で、一本の蝋燭の火が消えました。ミサが終わった後、聖霊降臨のミサなのに、火が途中で消えるのはあまり良くないと言われました。自分で火を灯した蝋燭なので、聖堂に残って蝋燭を直しました。その日の昼食後、マエストロの牧山修道士さんが自室で脳出血のため亡くなりました。 そんなに若くして、亡くなったことを誰も考え...
2020.10.20 23:27家庭的雰囲気づくり――福者ジャッカルド神父の生涯(41) ティモテオ院長は、以上の仕事のほかにも、創立者の首席顧問として年に何回もローマとアルバの間を往復し、国際化したパウロ家の支部からの諸問題の解決に取り組む一方、教会や市町村の当局物たちとの交渉に駆け回り、パウロ家の修道士・修道女・在俗会員たちの霊的指導などにも忙殺されていた。 それでも、ティモテオ院長は母院の人たちの生活指導を何よりも心に...
2020.10.20 00:20「コロナ時代は『時のしるし』か」 鈴木信一神父 「時のしるしを読む」ことは「商機をつかむ」につながるでしょう。この二十年間でこの世界に驚異的に普及したスマホですか、この時の動きを敏感に察知し、商機に結びつけたのが Windows、Macintosh、Dell、Google、アマゾン、フェイスブック、ラインです。彼らは私たちと同じ二十年を過ごしながら、そこに時のしるしを読み取り、時代の...
2020.10.16 01:07神戸に上陸――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(13) 私たちは日本行きのフランスの大西洋横断客船「アラミス号」が寄港するまで、数日上海に滞在した。船はとても美しく、快適だった。イタリア語を話す他の宣教師たちは乗船していなかったが、そのことは逆に私たちにとっては本当に幸いだった。なぜなら、私たち二人の会員は未熟なフランス語に磨きをかけることができたからである。当時、フランス語は日本で活動して...
2020.10.14 00:20「会員、修道会の成長を願った人」 德田隆仁修道士 夫津木神父さんが二〇二〇年二月十六日に七十六歳で帰天した。日本管区にとって彼を失ったことは大きな打撃と損失であり、私自身にとっても、彼の貴重な体験、アドバイスはもう聞けなくなったのだと、今しみじみ悲しく残念に思っている。 夫津木神父さんと私は年齢的に十七歳ほどの差があった。そのため修道会から何かを任命されて仕事をする際には、彼がその組織...
2020.10.12 23:25使徒職生活のアニメーター(清貧)――福者ジャッカルド神父の生涯(40) 修道清貧とは、神に自己を完全に委託することであり、キリストや人びとを愛するために、この世の財産から離脱することである。ティモテオ院長は常日ごろ、創立者の考えている清貧について次のように解釈し、率先してこれを日常生活の中で実践していた。「観想修道会は、イエス・キリストの身になって、断食、粗衣、むち打ちを神にささげす。真の聖パウロ会会員は、...