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「会員、修道会の成長を願った人」 德田隆仁修道士

 夫津木神父さんが二〇二〇年二月十六日に七十六歳で帰天した。日本管区にとって彼を失ったことは大きな打撃と損失であり、私自身にとっても、彼の貴重な体験、アドバイスはもう聞けなくなったのだと、今しみじみ悲しく残念に思っている。

 夫津木神父さんと私は年齢的に十七歳ほどの差があった。そのため修道会から何かを任命されて仕事をする際には、彼がその組織の責任者を務めることが多かった。

 私が終生誓願者になりたての頃、養成委員に任命されたことがある。委員長は夫津木神父さんであった。修道会の組織や役割、活動をまだあまり知らない私は、夫津木神父さんや周りの委員から委員会として活動するための規約作成、議事録作成、被養成者たちの将来を見据えた養成の具体的プログラム作成などを通して、またそれをどのように具体化していくのかを共に考え、活動していく中で、実に多くのことを学ばせてもらった。

 実際、夫津木神父さんが委員長を務めていた頃の養成委員会の活動の在り方が基礎となって今に引き継がれ、これまで多くの若い会員たちが、アメリカ、オーストラリア、アイルランド、フィリピン、イタリアに送られて学んできた。

 何よりも会員自身の成長が修道会の成長に直結することを理解していたのが夫津木神父さんであったように思う。ヨハネ・ボスコが夫津木神父さんの修道名であった。パウロ会員であれば、もっと別な修道名もあったろうにと思うのだが、青少年の教育に力を注いだドン・ボスコの名を選んだのは、やはり修道会の中で教育が何より大切であることを意識していたからなのであろう。

 七十六年という生涯の中で、夫津木神父さんほど多くの経験をしてきた会員は他にいないのではないだろうか。修道会の中では、院長、管区長、養成委員長、使徒職責任者、霊性委員長、聖書センター責任者。また外部では、カトリック中央協議会組織の様々な部門で活躍した。晩年は福岡教区の八代教会、老司教会で主任神父として司牧活動にも従事した。

 私も夫津木神父さんもお酒が大好きであった。彼は心臓のバイパス手術をした後でも、医者から酒と煙草を止めるように勧められたにもかかわらず、「好きなことを止めてまで、長生きしようとは思わん!」と常々言っていた。そのお陰か、私は夫津木神父さんとお酒を酌み交わす機会が多かった。一杯入ると、彼はこれまで経験してきた様々なことを楽しくしゃベってくれた。そんな彼の話を聞くのが私は大好きであり、彼の持っている情報が私にとって大変役に立っていた。

 夫津木神父さんは、私にとって学ぶべきことが多かった先輩会員であったが、私の人生を大きく変えた人物でもあった。

 二〇〇四年四月、当時の管区長であった夫津木神父さん、そして日本管区からの代表であった山口輝男神父さんと私がローマのアリッチャで開催された第八回修道会総会(二〇〇四年四月二十日〜五月二十日)に参加した時の出来事である。事もあろうに私が六人の総顧問の一人に選出されたのである。そのとき夫津木神父さんは私に「絶対に受けなさいよ。あなたにとってとても良い経験になるし、日本管区にとっても財産になるから」というのである。そんな彼の言葉を真に受けて、私の六年間のイタリア生活が始まったのである。

 後日、夫津木神父さんからは、「周りの参加者から『徳田はどういう人物だ? 総顧問は務まるのか?』と色々聞かれたから、『大丈夫だ』と答えておいたから」と。「私の六年間を返してくれ」と、当初は思ったものであるが、総顧間としての経験は、今の私にとって大きな宝となっている。今は会貝の成長、修道会の成長を願って止まなかった夫津木神父さんの永遠の安息を祈りたい。


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