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使徒職生活のアニメーター(清貧)――福者ジャッカルド神父の生涯(40)

 修道清貧とは、神に自己を完全に委託することであり、キリストや人びとを愛するために、この世の財産から離脱することである。ティモテオ院長は常日ごろ、創立者の考えている清貧について次のように解釈し、率先してこれを日常生活の中で実践していた。「観想修道会は、イエス・キリストの身になって、断食、粗衣、むち打ちを神にささげす。真の聖パウロ会会員は、困難な仕事を常に贖罪として神にささげるよう召されています。この贖罪の行為のために、会員は全エネルギーを注ぎ込み、自分自身を犠牲に供して、自らの生涯をささげつくします」と。

 この言葉を裏付ける格好のエピソードがある。真冬のある日のこと、ティモテオ院長はトリノの分院に行く用事ができたので、早朝のまだ真っ暗な凍てつく寒さの中をアルバ駅まで歩いて、五時発の汽車に乗るつもりでいた。しかし、前日からの積雪で、歩道はまるでスケート・リングのようになっていた。ティモテオ院長は、その上をゆっくりと気をつけて歩いていたが、ついにバランスを崩して転んでしまった。幸い通行人が助け起こしてくれたものの、打ちどころが悪かったせいか、肩も腕もひりひり痛みだした。切符を買うにも財布が取り出せず、人の手を借りたほどだった。

 ティモテオ院長は夜明け前にトリノの分院に着いたが、このけがについてはひと言も触れず、月の静修の指導をした。そのあと、やっとの思いで祭服を着けてミサをささげ、ミサの後に祭服を脱ごうとしたが、痛くてどうしても脱ぐことができず、仕方なしに人手を借りなければならなかった。ティモテオ院長は応急手当てを受けた後、次の静修の指導をしようとしたが、シスターたちは、どうやってティモテオ院長をアルバに連れ戻そうかと、電話で打ち合わせていたところであった。シスターたちは、アルバに着くとただちに病院へ連れていき、診察してもらった。ティモテオ院長は肩を骨折し、腕もねんざしていたので、腕にギブスをはめざるを得なかった。「肩を骨折しながら、よくもまあ一日中働き通したものだ」と、医師たちはびっくりすると同時に、「そんなに無理をしてはだめですよ」と厳しく叱った。ティモテオ院長はこれを笑みを浮かべながら謙虚に危機、そして口癖のように「デオ・グラチアス(神に感謝)」と答えた。

 母院に帰ったティモテオ院長は、院長事務所にベッドを運び込ませて院長職を続行し、兄弟会員たちや志願者たちのために働いたのである。

 このほかにも、ティモテオ院長は、1928年に献堂された聖パウロ大聖堂の内装・外装工事の資金繰りから、芸術的価値の高い絵画・彫刻・ご像のアイデア提供にまでも全力投球し、その上、アルバの聖パウロ女子修道会の「聖師聖堂」とローマの聖パウロ会の「使徒の女王大聖堂」の建築にも粉骨砕身したのである。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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