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「主よ、私たちにみ旨を行わせてください」 チュオング・グエン・ミン・ドゥック ポストランテ

 ペンテコステ(聖霊降臨)のミサの途中で、一本の蝋燭の火が消えました。ミサが終わった後、聖霊降臨のミサなのに、火が途中で消えるのはあまり良くないと言われました。自分で火を灯した蝋燭なので、聖堂に残って蝋燭を直しました。その日の昼食後、マエストロの牧山修道士さんが自室で脳出血のため亡くなりました。

 そんなに若くして、亡くなったことを誰も考えることができませんでした。その結果、若葉修道院の院長、管区会計補佐が欠員となり、いろいろな予定が変更となりました。もし神様が私に、同じょうに突然呼びかけてくると、どうしましょうか。

 召命というと、多くの人は修道生活への奉献を考えますが、人間であれば皆、召命を持っています。聖書の中に、「わたしはお前を母の胎内に形作る前から、お前を知っていた」(エレミヤ1・4)ということばがあるように、この世に派遣された私は、必ず神の永遠の計画の中で、ある目的に向かっています。これこそ神のみ旨であり、私のいのちの使命、最終目的に他なりません。その目的が完成されないと、死は訪れません。「わたしの口から出る言莱は、わたしが望むことを行い、わたしが託した使命を成し遂げずに、虚しくわたしに戻ることはない」(イザヤ55・11) とあるように…。この世で望むことを行い、生涯を終え、神のもとに戻り、永遠の安息を受けるのは、最高の人生でしょう。

 以上、述べたことは全部、神にお任せすることです。人間の自由があまり見えていません。澤田神父さんによれば、神のみ旨を探して、分かるのは簡単ではありません。もし見つけたら、それを受け取って、従順になるのは決して易しいことではありません。それに加えて、最後まで従い続けるのも、難しいことです。なぜなら、神のみ旨だけではなく、家族、上司、人間同士の期待や評価、この世界の価値などが、自分の欲、貧しさ、弱さ、悪霊の誘惑も、絶えず、神が私にくださった召命から引き離そうとしています。この混乱の中で、時々迷いながら、神に従うかそうでないか、自分で決断して、生涯をささげます。その決断に基づいた歩みで、神のみ旨を感じ取っていきます。私たちはどんなにお金を持っているにせよ、友人を持っているにせよ、どんなに誉められることがあっても、万一その使命を十分に果たさなくて死んでしまうならどうしましょうか。そんな時、「主よ、私たちにみ旨を行わせてください」というのが、毎日、意識して唱えていく祈りではないでしょうか。

 パウロ会に入会してから、マ工ストロ・アウグスチヌス牧山康二さんからいろいろ教えてもらいました。死者カードに書いてある聖書からの祈りを大切にして、神のみ旨を毎日頑張って、忠実に最後まで従おうとしています。

 「主よ、私たちにみ旨を行わせてください。」


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