2021.10.15 07:30へりくだるという種 年間第29主日(マルコ10・35〜45) 私たちは、時々「こんなに祈っているのに、神様は私の願いを聞き入れてくれない」と思うことがあるのではないでしょうか。そのような時、「今、祈っている私の気持ちはどこにあるのか」と考えてみてはいかがでしょうか。神様は、私たちにいちばん善いと思われる方法で聞き入れて下さるのだと思います。 きょうのみことばは、ヤコブとヨハネがイエス様に、イエス様...
2021.10.01 00:30幼子のようにという種 年間第27主日(マルコ10・2〜16) 生前の母が、「生活の苦しさで自殺をしようとしたことがあったよ。でもね、お前の笑顔を見たときに『死んではいけない』と思った」と私に話してくれました。まだ子どもだった私は、両親の間にどのようことがあったのかわかりませんが、それ以上は深くは聞けなかったことを覚えています。 きょうのみことばは、「離縁の問題」と「イエス様が子どもを祝福」する場面...
2021.09.24 00:00アガペの愛という種 年間第26主日(マルコ9・38〜43、45、47〜48) 私たちは、自分たちと違う人に対して不安を抱いたり攻撃をしたりする傾きがあるのではないでしょうか。これからの公開される、『梅切らぬバカ』という自閉症の子(49歳)とその母親の映画を観ました。周りの人は、自閉症の子が奇声をあげ、変わった行動をすることへの恐れのため、敬遠し奇異な目で見ています。しかし、実際にその子を知り受け入れることで分かり...
2021.09.17 00:30幼子を受け入れるという種 年間第25主日(マルコ9・30〜37) 私たちはいくつかの欲求を持っています。この欲求は、やる気、活力を蓄える良い作用と、自己の満足や権力など悪い作用の二面の場合があるのではないでしょうか。最初は人のために自分を鼓舞しようとしますが、いつの間にか自分の居心地をさらに良くしようという傾きを持ってしまいます。いつも主のために【欲求】を使うことができるように祈り続けることができたら...
2021.09.10 00:00私のイエス様という種 年間第24主日(マルコ8・27〜35) 私たちにとって【イエス様】はどのようなお方なのでしょうか。私(たち)にとってのイエス様は、優しい方、厳しい方、ただ黙っていつも側にいてくださる方、私を愛してくださる方などいろいろなお姿があるのではないでしょうか。今一度、「私にとっての【イエス様】」を振り返って見てもいいのかもしれません。 きょうのみことばは「ペトロの信仰告白」「初めての...
2021.09.03 00:00エッファタ(開け)という種 年間第23主日(マルコ7・31〜37) 東日本大震災の時に、何人かのろう者の方が避難所に近所の方の助けを借りて避難されました。しかし、彼らは、耳が聞こえないために周りのアナウンスが聞こえず、せっかくいろいろな物資が来たことに気づかなかったり、大切なお知らせを聞くことができなかったりとかなりのストレスが溜まったようです。最近では、手話ボランティアや文字やイラストによっての連絡が...
2021.08.27 00:30人の内面という種 年間第22主日(マルコ7・1〜8、14〜15、21〜23) 私たちは、それぞれいろいろな性格を持っているように、心の内側にもいろいろな面があるのではないでしょうか。そして、その内面の有り様が外部へ出て、その人の言動、振る舞いとなって出てくるような気がいたします。例えば、優しくておおらかな心を内面に持っている方は、言動も優しいでしょうし、周りを明るくするでしょう。逆に心が荒んで、怒りを常に持ってい...
2021.08.20 01:302つの「信じる」という種 年間第21主日(ヨハネ6・60〜69) 私たちは、人からの悪口を言われた時、心に辛い傷を残します。同じように、人から裏切られた時はもっと深い心に傷を残すことでしょう。その人との関係が親しかった場合は特に傷が深く癒されるには、時間がかかるのではないでしょうか。詩篇に「わたしが頼みとした親しい友、ともにパンを食べた彼さへも、わたしに対してかかとを上げました」(詩篇41・10)と書...
2021.08.14 07:00マリアに倣うという種 聖母の被昇天(ルカ1・39〜56) 以前ある神父様から「もしあなたが罪を犯した時、聖母マリア様に取り次ぎを願うといいですよ」と言われました。神父様は「あなたが犯した罪をマリア様に伝えてください。マリア様は、あなたをイエス様の所に連れて行って罪を伝えるでしょう。それからイエス様は、あなたとマリア様と一緒におん父の所に行かれ、あなたの罪を伝えます。おん父は、ご自分の前におられ...
2021.08.06 00:00命を与えるパンという種 年間第19主日(ヨハネ6・41〜51) 私たちが不平、不満を口にする時は、自分が基準になり「自分が正しい」と思っているのではないでしょうか。残念なことにこのような状態では、周りの人を不快な気持ちにさせ、何よりも「人を裁いている」という自分に気づくことできないということです。 きょうのみことばは、イエス様が「わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である」と言わ...
2021.07.30 00:30信じるという種 年間第18主日(ヨハネ6・24〜35) 少し前に、聖体をいただいた時に、お腹が温かくなったことがあります。これは、とても不思議な感覚で今まで、聖体を拝領して初めての体験で、改めてイエス様が私の中に入られた、という感じを受けました。 きょうのみことばはイエス様が大勢の群衆に「パン5つと、魚2匹」で満腹にさせる徴(しるし)を行なった後に、ご自分を「わたしは命のパンである」と群衆に...
2021.07.23 02:00委ねるという種 年間第17主日(ヨハネ6・1〜15) 赤ちゃんが親に抱かれている姿は、その中に愛を感じ、和んだ感覚、幸せな感覚をいただきます。それは、赤ちゃんが腕の中に包まれ親に全てを委ね切っているとともに、親も幼子を愛おしんでいるからではないでしょうか。 きょうのみことばはイエス様が群衆に大麦のパン5つと魚2匹を満腹するまで、食べさせるという場面です。イエス様と弟子たちは、山に登られそこ...