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マリアに倣うという種 聖母の被昇天(ルカ1・39〜56)

 以前ある神父様から「もしあなたが罪を犯した時、聖母マリア様に取り次ぎを願うといいですよ」と言われました。神父様は「あなたが犯した罪をマリア様に伝えてください。マリア様は、あなたをイエス様の所に連れて行って罪を伝えるでしょう。それからイエス様は、あなたとマリア様と一緒におん父の所に行かれ、あなたの罪を伝えます。おん父は、ご自分の前におられるおん子と聖母マリア様と一緒にいるのであなたの罪をお許しになられます」と話してくださいました。聖母マリア様は、イエス様の母とともに私たちの母でもあるのです。

 きょうの典礼は、『聖母の被昇天』で、みことばはマリア様がエリサベトを訪問される場面です。マリア様は、大天使ガブリエルからお告げを受け「あなたの親戚エリサベトも、年老いていながら男の子を身籠っている。不妊の女と言われているのに、はや6ヶ月になっている。」(ルカ1・36)と知らされます。マリア様は、大天使ガブリエルの言葉を聞かれ急いでエリサベトの所に向かいます。ナザレからユダまでは3日ほどかかるでしょうか。その道のりをまだ10代前半の少女であるマリア様が旅されるのです。

 マリア様は、どのようなお気持ちでエリサベトの所に行かれたのでしょうか。マリア様は、大天使ガブリエルからお告げを受け、エリサベトのことを聞かれ、居ても立っても居られない気持ちになられたのでしょう。それは、何かマリア様の心を突き動かすようなものがあったのでしょうし、「エリザベトの所に言ってあげなさい」とマリア様が宿されたイエス様からの言葉が心に聞こえたのかもしれません。私たちも心の中に響いてくるイエス様の声に素直に従い、行動に移すことができたらいいですね。

 マリア様は、ザカリアの家に行かれエリサベトに挨拶をします。ちなみに、エリサベトの家からザカリアの家まで歩いて10分から15分くらいでしょうか。今では、それぞれの家の後には、教会が建てられ、エリサベトの教会には各国の「マリアの賛歌」が描かれたあり、ザカリアの教会には「ザカリアの賛歌」が描かれています。

 マリア様の挨拶を聞いたエリサベトは、自分の胎内の子であるヨハネが踊るのを感じます。一般に6ヶ月目の胎児は、性別もはっきり判別でき、骨や筋肉も増加し体重が増え、また聴覚も備わってくるそうです。このように考えますと、エリサベトの胎内で子が踊ったということは、ヨハネの耳にもマリア様の挨拶が聞こえたのかもしれません。エリサベトは聖霊に満たされて「……わたしの主の御母が、わたしのもとにおいでになるとは、いったい、どうしたことでしょう。」と言います。エリサベトは祭司ザカリアの妻であり身分的にはマリア様より立派な家系であったようですし、年齢もずっと上ということになります。そのエリサベトがマリア様に対して「わたしの主の御母が、わたしのもとにおいでくださるとは、……」と賛美の言葉を言うのです。この中には、人間的な上下関係も親戚の子という関係も当然ありません。そのような関係を度外視して【聖霊】に満たされて放った言葉ですし、心からの謙遜の表れと言ってもいいでしょう。

 さらに「……主から告げられたことが成就すると信じた方は、ほんとうにお幸せなことです」とマリア様に伝えます。人間的な考え方をすれば、「自分の夫であるザカリアは、大天使ガブレリエルからのお告げを信じなかったために口が聞こえなくなった」と聞こえるかもしれません。しかし、聖霊に満たされたエリサベトはそんな意味ではなく、イスラエルの長い歴史の中でおん父が必ず救い主を送るという約束を【信じた方】という意味であり、どんな状況にあっても、「主から告げられた言葉を【信じる】こと」の素晴らしさを祝福しているのではないでしょうか。

 さて、エリサベトの祝福の言葉を聞いたマリア様は、「わたしの魂は主を崇め、わたしの霊は、救い主である神に、喜び踊ります。」から始まる素晴らしい賛歌を詩(うた)われます。マリア様は「主が、身分の低いはしために、目を留めてくださったからです。そうです、今から後、いつの時代の人々も、わたしを幸いな者と呼ぶでしょう。」と続けます。この言葉は、マリア様の謙遜を表しているとともに、【主が目を留めてくださった】から「幸と呼ばれる」と言われるのです。マリア様は、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と言われるほど、おん父に対して謙(へりくだ)られ、いつも従順でした。マリア様は、ご自分の身に起こること、さらにご自分を通して起こる全ての人たちへのおん父のみ旨を伝えらます。最後に「わたしたちの先祖に仰せになったとおり、アブラハムとその子孫にとこしえに」と詩(うた)われます。これは、『マリアの賛歌』が私たち一人ひとりに対して及ぼされるという意味ではないでしょうか。

 きょうの典礼である「聖母の被昇天」を通して改めておん父のみ旨に謙遜で従順であったマリア様を称え、また、取り次ぎを願って日々を過ごすことができたらいいですね。


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