2020.02.21 07:15前のことに向かって――福者ジャッカルド神父の生涯(13) ピノトゥは、1915年(大正4年)6月、19歳の時に、リチェオ課程3年を卒業したが、その一ヵ月前の聖母月に、彼は、聖母への信心をいっそう前進させる動機づけを受けていた。というのは、アルベリオーネ神父が、聖母月の間、神学生たちに、グリョン・ドゥ・モンフォール(Grignion de Montfort)の精神にそった、聖母への真の信心に関す...
2020.02.20 00:35「ベトナムでの召命活動」 洗川修一修道士 ベトナム共同体への異動後、日本から情報を求められ、ネタ切れとはいかないにしても内容によっては繰り返しになることを了承していただきたいと思います。 実質的に前任者たちとバトンタッチしたのが五月の大連休の後、つまり日本では令和の時代の幕開けでした。日本の10連休とはいきませんでしたが、ベトナムも同じころ3日間の連休があったので、ホーチミン市...
2020.02.19 03:27『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産―日本のユネスコ世界文化遺産―』 11年の歳月を経て、2018年6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界文化遺産に登録された。 本書では、12の文化遺産とその関連遺跡を写真で紹介し、日本へのキリスト教の伝来と繁栄、禁教、そして宣教師が一人もいなくなった江戸期から、キリスト教が解禁された明治初期までの約250年におよぶ迫害と殉教の歴史の中で、キ...
2020.02.13 07:13マスコミへの関心――福者ジャッカルド神父の生涯(12) 20世紀初頭のイタリアでは出版物がマスコミ界の主流を占めていたので、今日のテレビに似て、善くも悪くもその影響力は計り知れなかった。特に、人びとに悪影響を及ぼしていたのが、当時の欧州に広まっていたモデルニズム(Modernism 近代主義)という考え方である。すなわち、キリスト教は外部から人間に示された天啓や教会の教導権によって成立したも...
2020.02.03 07:11キリストに生きるまで――福者ジャッカルド神父の生涯(11) ピノトゥは着衣の日以来、特別なことがなければ、私生活でも常にスータンを着用していた。着衣を節目に、決意も新たに「イエス・キリストにまったく変容されてゆく」という自己形成の大目標に向かって前進したのである。その手段として、哲学的な思考を深め、年の大黙想をし、毎日良心の糾明をし、毎週ゆるしの秘跡を受け、時には指導者にすべてを打ち明けて、これ...
2020.02.03 03:30『十字架の聖ヨハネの霊性 フェデリコ・ルイス師の講話』 スペインで「詩人の守護聖人」と称される十字架の聖ヨハネは、日常生活の中で神との親密な関係を生き、またキリストとの愛の交わりを生きた聖人であった。彼は自身の神体験を詩で表現し、自らそれを解説し著作として残している。そんな彼は決して近寄り難い人物だったわけではなく、バランスの取れた温厚な人であった。 インターネットやAIが発達する現代におい...