「ベトナムでの召命活動」 洗川修一修道士
ベトナム共同体への異動後、日本から情報を求められ、ネタ切れとはいかないにしても内容によっては繰り返しになることを了承していただきたいと思います。
実質的に前任者たちとバトンタッチしたのが五月の大連休の後、つまり日本では令和の時代の幕開けでした。日本の10連休とはいきませんでしたが、ベトナムも同じころ3日間の連休があったので、ホーチミン市から地方都市へ行く機会もありました。それはニャチャンというホーチミンから飛行機で約一時間のところの海の近くにあるリゾート地でした。最近は外国から多くの客が押し寄せてくるということで、特に中国人が多いという印象を受けました。
そのニャチャンへ、大阪聖ヨゼフ宣教修道女会のシスター・ラン(ベトナムの方)さんからの誘いを受けて、ニャチャン教区のいくつかの小教区から青年たちが集まる召命大会が行われるということで、修道会の紹介をするには良い機会だと思い参加しました。まだベトナムに来て一か月過ぎたばかりで言葉も出来ず、また自分自身が日本で召命活動をあまり経験していないことだけに大いに不安だらけでしたが、いろいろな人の助けを得て、その日八〇〇人ほどの青年たちの前でマイクを持つことになりました。たくさんのプログラムの中で修道会の紹介をしたのは四つの会からでしたが、限られた時間の中で司会担当のシスターから急き立てられるようにあっという間に持ち時間は過ぎてしまいました。どのような方法でどの手段をもって青年たちに訴えるかということが求められた時でもありましたが、事前に会場の設備も確認なしで参加しましたので、口頭だけで、後でパンフレットを配布するという手段をとりました。他のグループは動画をスクリーンに流して紹介していたので、今後は私たちも工夫しなければと反省させられました。
その反省を生かして、その二週間後に行われた「世界召命祈願の日」には、ホーチミン市九区にある小教区で修道会の紹介を聖パウロ女子修道会合同で行いました。パウロ家族ということで創立者について、また創立の経緯については重なる部分はありましたが、前日の現場でのリハーサルを含めて、それぞれ準備した動画やパワーパイントを使いながらの紹介を行うことが出来ました。それでもにわか作りにはかわりなく試行錯誤の末のことでした。この日はまたシスターたちの販売も行われ、主任神父さんのご厚意で盛り上がった一日でした。またこの日、前日交通事故で亡くなられた若いお父さんがいらっしゃるということで、教会からすぐ近くのお宅にお邪魔して棺の前でお祈りをささげるという体験もありました。シスターたちと私たちの突然の訪問には遺族の方々が驚いている様子でしたが、悲しんでおられる奥様とは手を握って無言のままその場を後にしました。
現在ベトナム共同体には司祭不在なので所属する小教区のミサに与かるわけですが、時には葬儀ミサに出会うことがあります。遺族の方々は白い鉢巻をしておられるので死者がおられるのだとすぐ分かります。ほかの宗教の方もだいたい白装束でしょうか、教会の中では日本でいう喪服姿とは違い、普段着の方であっても頭には鉢巻をしているというのが、死者を葬るときの遺族が身に着けるもののようです。
ベトナムに共同体が開設されて約八年ということですが、現在大学に通う学生二名、日本語学校に通う学生二名、そして二名の日本人ブラザー会員が共同生活を行っています。昼間学生たちは大学や日本語学校に通い、日本人ブラザーも週何回かベトナム語学校に通っています。小教区のミサが早朝五時からなので早起きをしなければなりません。信者さんたちも早くからロザリオを唱えながらミサを待つという習慣のようです。ベトナムの教会は信者さんが多いということで教会の建物も大きく、司祭や先唱者や聖歌隊たちはマイクロホンを駆使して行わなければ声が届きません。そのためか聖堂いっぱいに声が響いています。お祈りも日本と比べると少し早いように感じます。ベトナム語独特の六つの声調というのがあるなど、単語一つひとつに上がったり下がったりする抑揚のある言葉になるので、そう感じるのかもしれません。これがロザリオの祈りとなると文字を追っていく余裕がなくどこかの単語を省略しないと同時には終われないという始末です。ベトナムの言葉、習慣、文化を知るためには多くの時間が必要だろうなあ、と痛感させられる日々を送っています。
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