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キリストに生きるまで――福者ジャッカルド神父の生涯(11)

 ピノトゥは着衣の日以来、特別なことがなければ、私生活でも常にスータンを着用していた。着衣を節目に、決意も新たに「イエス・キリストにまったく変容されてゆく」という自己形成の大目標に向かって前進したのである。その手段として、哲学的な思考を深め、年の大黙想をし、毎日良心の糾明をし、毎週ゆるしの秘跡を受け、時には指導者にすべてを打ち明けて、これから先の生活指導を仰いだ。それで、自分のこともよく見え、目標は遙か彼方にあり、そこに至るためには幾つものハードルを越えねばならず、“果たしてそれが自分にできるか“ というためらいと弱さを、手記の中で謙虚に告白している。

 私は、いまだに自制心がないと自覚しています。私の心は環境の変化や人びとの変化に感化されますし、それに私の生活(1914年)も、その場の雰囲気や周囲の人びとによって停滞します。私の個性は、今もって確立していないのです。独り立ちできていません。命令とあれば火の中へさえ突入する覚悟はあるのに、いざとなると躊躇し、途中で投げ出してしまいます。自己管理ができていないのです。

 ピノトゥは、神学校のリチェオ課程を勉強している時にしみじみと感じた自己の弱さの体験から、「人事を尽くして、天命を待つ」という聖パウロの次の心境へと高められていった。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12・9~10)。

 ピノトゥも、こういう心構えで、アルベリオーネ神父の指導に従って少しずつ自分の務めを果たし、決して焦らず、欲張ることもなかった。その手帳には、こう書いてある。

 長い間かけてできたものを、一日でわか物にしようと欲張っています。私自身に対してはあまり欲張らずに、もっと謙虚になりたいてものです。その上、我慢していれば、自ら進歩が見えてきます。一ヵ月後に注意して見ると、前よりも考え深くなり、元気溌剌になり、思い切りがよくなり、節欲をするようになり、わたしの虚無についていっそう納得できるようになり、祈る心も高まりました。神に感謝、マリア様にも感謝。

 ピノトゥがキリストの感じ方、考え方、生き方に近づいていくための身近な模範といえば、何といっても、当時アルバ神学校の哲学教授であったフランチェスコ・キエザ神父(Francesco Chiesa)であった。通常「カノニコ・(Canonico)キエザ神父」と呼ばれていた彼は、アルベリオーネ神父の指導司祭でもあり、後にパウロ家の優れたアドヴァイザー、後援者となった方であり、最近は列福候補者にもなっている。この方の晩年については、本書の「恩師の逝去」の項で触れることにする。

 ピノトゥは神学2年生の時に、この哲学教授について次のように日記帳に記している。

 カノニコ・キエザ神父様を教授として与えてくださった神様に感謝いたします。この方には広範な、奥深い知識のほかに、謙遜という英知が見受けられます。この教授の教えは私の役に立ち、その模範は私の心を打ち、私を(注、キリストに)変容させる原動力となっています(1916年4月)。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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