2020.03.30 07:20聖パウロ会に入会の日――福者ジャッカルド神父の生涯(17) 1917年(大正6年)7月、神学2年課程を終わったばかりの21歳のピノトゥは、当時「印刷学校」と呼ばれていた聖パウロ会初期の印刷所へ行った。そこには校正の仕事があったからである。「印刷学校」は、1914年7月4日、アルバ市バルアルディデイ通り(Via Baluarudi )二番地に移転した。 しかし「印刷学校」の移転に伴い、修道院は「印...
2020.03.25 03:25『聖地巡礼ガイド イエス・キリストの足跡をたどる』 宗教を信じている、信じていないにかかわらず、人は古くから「聖地」と呼ばれる場所を巡礼し、日常からの解放と魂の浄化を求めてきた。キリスト教を信じる者にとって「聖地」とは、まぎれもなく2000年前にイエス・キリストが誕生し、生活し、宣教し、死んで復活された聖なる場所のことである。著者は幾度となくこの聖地を訪ねて資料を集め、自ら数多くの写真を...
2020.03.23 07:18広報使徒職への招き――福者ジャッカルド神父の生涯(16) ピノトゥがマスコミに関心を寄せ、アルベリオーネ神父作の祈りを毎日唱えていたことは前に述べたが、一九一六年の終わりごろ、それに応えるように神の恵みが神学二年生のピノトゥに与えられた。そのころ、アルバ神学校でパシ(Pasi)司教の講演を聴いて大いに感動し、手帳の中に次のような感想を述べている。 司教様の講演に、私はたいへん心を打たれました。...
2020.03.11 07:17神学生指導の助手――福者ジャッカルド神父の生涯(15) 退役後、ピノトゥは神学校に復学して、神学課程の諸学科を学ぶかたわら、以前と同じように神学生担当司祭の助手を務めた。日本流にいえば、さしずめ「寮長」に似た立場であろうか。この助手の役はアルバ神学校では、伝統的に成績優秀で品行方行な神学生にあてられていたのである。主に時間割りや規律を守らせたり、考え方や生き方を指導したりする。ピノトゥは、ジ...
2020.03.03 00:35「ツルさん、あの時は本当に悔しかったなあ!」 山内堅治神父 鶴田正広修道士(通称:ツルさん)が亡くなったのは、平成最後の日の二〇一九年四月三十日のことだった。翌日は「令和」の元号が始まるだけに、ツルさんにとってはさぞ悔しかったのではないだろうか。 ツルさんは私の一つ上の先輩で、私が福岡修道院に入会した時からの付き合いだった。けっこう負けず嫌いで、それでいて誰か分からない人がいると、すぐ手助けして...
2020.03.02 07:161ヶ月あまりの軍隊生活――福者ジャッカルド神父の生涯(14) 1914年(大正3年)、第一次世界大戦が欧州で勃発した。この大戦はイタリアも巻き込み、若者を戦場へし駆り出した。徴兵年齢に達した神学生たちは、多数の若者が砲弾飛び交う戦場で血と汗を流している最中に、反戦論を唱えて学業を続ける……というわけにもいかなかった。 翌年11月22日、神学1年生であった19歳のピノトゥも兵役に召集され、ジゥノヴァ...