権力争い 年間第29主日(マルコ10・35~45)
福音書の最初の部分で、四人の召命の話が出てきます。最初にシモン(ペトロ)とアンデレの兄弟(マルコ1・16)がイエスから「わたしについて来なさい。人を漁る漁師にしよう」(1・17)と言われ、網を捨てて従います。次にゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネです。(1・19)イエスは彼らにも声をかけ、「二人は父ゼベダイと雇い人たちとを舟に残して、イエスの後について行き」(1・20)ます。こうして最初の四人は二家族から召命を受けることになりました。順番からすると、ペトロとアンデレが先輩になるでしょうか。
そんな背景を念頭において、今日の箇所を読んでいくと分かりやすいかもしれません。すなわち「ゼベダイの子ヤコブとヨハネがイエスに近づいて言った、(中略)『あなたが栄光をお受けになるとき、どうかわたしたちの一人をあなたの右に、一人を左に座らせてください』」(マルコ10・35~37)と。当然のことながら、他の十人の弟子たちは憤慨します。その中でもペトロとアンデレがいちばん怒ったのではないでしょうか。弟子として選ばれた順番からすると、彼らが最初だっただけに、「先輩を差し置いて、なぜヤコブとヨハネが先に行くのか」と。
そんな中でイエスは、「あなたがたのうちで第一の者になりたい者は、みなの僕となりなさい」(マルコ10・44)と語ります。権力争いをするのではなく、「僕」のように奉仕する者の立場をイエスは語ります。
六年前の二月、修道会総会が行われました。メイン・イベントは総長選挙です。前の総長が任期を終える前に亡くなったので、総長選挙はとても時間がかかるだろうと予想されました。ところが予想とは裏腹に、二回目の選挙であっさりと決まりました。しかもそれまでイタリア人だったのが、ブラジル人の総長(ヴァルディール・デ・カストロ神父)になりました。参加していたイタリア人が、「自分たちを差し置いて」という雰囲気があるかと思ったら、彼らはとても快く受け入れていました。むしろヴァルディール神父が総長職を引き受けるに際し、少々間があり、「断るのか」という雰囲気も漂いましたが、彼は勇気をもって受け入れ、その後、大きな拍手が湧き起こりました。そこには奉仕職を引き受ける重圧があったのでしょう。
第一の者になるには、いつの時代でもこうした奉仕の精神、謙虚さが必要だと思います。
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