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「すべての人に対してすべてとなる」 年間第25主日(マルコ9・30~37)

 イエスは二回目の受難の予告を行います。イエスに従うにはどのようにすればよいのかを具体的に示していきます。しかし、弟子たちにはまだまだ理解するのが難しかったのかもしれません。さらにイエスに直接尋ねるのもはばかっている様子です。弟子たちはイエスに聞いたら怒られるとでも思ったのでしょうか。

 イエスは弟子たちに「第一の者になろうと望む者は、いちばん後の者となり、またみなに仕える者とならなければならない」(マルコ9・35)と語ります。他人に仕えることは決して簡単なことではありません。仕えることを、自分の生涯をかけて実行したのは聖パウロです。

 聖パウロはいろいろな国や地域で宣教しました。それもまた決して楽な活動ではありませんでした。思いがけない十字架、苦難の連続でした。事実、「わたしたちはあなたの故に、一日じゅう死の危険にさらされ、屠られた羊のようにみなされている」(ロマ8・36)とか、「苦労したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、死の危険にさらされたことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭打ちを受けたことが五度、ローマ兵から鞭打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、外海で一昼夜漂流したこともありました。しばしば旅をし、川の難、強盗の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、偽兄弟からの難に遭い、苦労に苦労を重ね、度々眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(二コリ11・23~27)と。どんなに苦労を重ねたが分かる記事です。それでも「わたしは。すべての人に対してすべてとなったのです。すべてを尽くして何人かでも救うためです」(一コリ9・22)と語ります。「すべての人に対してすべてとなる」というのは、口では簡単にいえるかもしれませんが、実際に実行するとなるととても難しいのではないでしょうか。

 このような聖パウロの姿の中には、「みなに仕える者」の在り方がよく見えてきます。


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