自分の十字架を背負う 年間第24主日(マルコ8・27~35)
イエスは受難の予告をした後、従うためにはどのようにすべきかを語っていきます。イエスは弟子たちとともに群衆を呼び寄せて「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を担って、わたしに従いなさい」(マルコ8・34)と語ります。表面的にうまくいっている人でも、その人なりの十字架があります。
6年前、NHK「プロフェッショナル」制作班が作成した『プロフェッショナル仕事の流儀 人生に迷わない36の極意』NHK出版新書を読んでいたら、野球選手のイチローさんのことが取り上げられていました。彼は2013年8月21日、ニューヨーク・ヤンキーススタジアムで、日米通算四千本目となるヒットを放つとういう偉大な記録を樹立しました。この記録にたどりついたのは、球史では三人目とのことです。試合後、彼は記者会見に臨み、これまでの歩みを振り返りながら、次のように語りました。「四千のヒットを打つためには、僕の数字で言うと、八千回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」(14~15頁)。さらに「人間として大事なものは、苦しみのなかにある」(18頁)とも語っています。確かにこうした偉大な記録とはいえ、「悔しい思い」「苦しみ」というのは、私たちが想像する以上に体験しているのだろうなあとも思います。私たちはうまくいった部分をよく見ますが、うまくいかなかったことも数多くあるのではないでしょうか。そのことをイチローさんは指摘してくれているように思います。
私たちも人生において、たくさんの十字架があり、毎日、何か気苦労があったりします。そういう辛い、悔しい部分があるからこそ、輝かしいものがあり難く感じられるものです。人生の中で、イチローさんのように、三分の一はうまくいくけれど、三分の二は失敗の連続であったり、うまくいかなかったりすることもあります。それは一つの十字架のようなものかもしれません。でもそれがあるからこそ、三分の一の成功が光り輝いて見えるし、これを支えているのかもしれません。
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