聖母の被昇天の教義 聖母の被昇天(ルカ1・39~56)
聖書の中に「聖母の被昇天」という記述は出てきません。この教義が教会で認められるようになったのは、一九五〇年十一月一日のことです。ピオ十二世教皇がこの決定に踏み切りました。決定にあたり、「マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光に上げられたことは、神によって啓示された真理である」と宣言しています。
実際、聖書にはマリアの人生の終わりについて何も記されていません。でもキリスト者たちは、マリアの魂は神のもとで幸せに生きていると考え、三世紀ごろからマリアの取り次ぎを祈り求めていました。五世紀ごろになると、マリアの死後、その体が腐敗しなかったことが強調され、ある物語では、マリアの体は天に上げられたとも書かれています。七世紀ごろになっていくと、東方教会では八月十五日に、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日が祝われるようになり、やがてマリアが天に上げられたことをお祝いするようになります。一方、西方教会ではマリアが死の眠りについたことを記念する祝日はラテン語で「ドルミティオ」(眠り)と呼ばれ、七世紀末から祝われるようになり、八~九世紀には(ラテン語で)「アスンプティオ」(昇天)と呼ばれるようになります。
十六世紀になると、マリアが霊肉共に天に上げられたという信仰は、西方教会で一般に認められるようになり、八月十五日はマリアの祝日となっていきました。「教会の祈り」の中でも、被昇天を肯定するものに変えられていきます。十九世紀から二十世紀にかけて、聖母マリアに対する信心が深くなり、マリアの被昇天を教義として宣言する要請が高まり、ピオ十二世教皇の時に決定されていきました。
マリアの永眠教会(被昇天教会)はエルサレムとエフェソにあります。二つあって不思議な感じもしますが、マリア様ご自身は、今日の福音にあるように、「主が、身分の低いはしために、目を留めてくださったからです」(ルカ1・48)と、寛大な気持ちで受け入れてくださっていることでしょう。
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