いのち 年間第19主日(ヨハネ6・41~51)
8月9日は原爆が長崎に投下されて76年になります。被爆して生き延びた方々が少なくなり、その体験を語る方も減ってきました。
6年前の6月、広島平和記念資料館を訪問し、館長の志賀賢治氏にインタビューしました。その記事は「家庭の友」2015年8月号の特集に掲載されています。インタビューの中で志賀さんは、「(私の)家族の家は、母方は爆心地から三キロの所、父方は2.5キロの所にありました。半径二キロ圏内の焼け野原のちょっと外側です。でも、父方の祖母は1.5キロの所、路上にいましたので、上半身に大やけどを負いました」と。さらに「母や祖母から(被爆体験を)直接聞いた記憶はありません。資料館のスタッフも言っているのですが、孫世代は意外と聞いているんです。子どもには話しにくいこともあるのかもしれません」と。確かに、被爆して目の前で多くの人が亡くなり、助けられなかったことの悔しさなど、自責の念を感じて悲しい体験を自分の息子や娘たちには話しにくいのかもしれません。また「当館(広島平和記念資料館)には語り部の方が30人ほど協力してくれていますが、何人かの方は、『うちの子が死んで、なんであんたが生きとるん』と言われた」と。
また志賀さんが語るには、「私自身は、『広島は原爆で一度死んだ』と思っています。その後、新しく再生しました。原爆はたった一発で、半径二キロを一瞬にして、火の海とし、それだけでなく、とてつもない爆風、そして、今でも続く放射能の影響を及ぼしました。ことごとく焼き尽くし、破壊し尽くしたのが原爆の特徴です」と語っていたのが印象的です。すべてを失って新たに生まれる。
イエスは「わたしは終わりの日にその人を復活させる」(ヨハ6・44)とか、「よくよくあなたがたに言っておく。信じる者は永遠の命を持っている。わたしは命のパンである」(ヨハ6・47~48)と語ります。この8月、「いのち」の尊さを深く考える時です。
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