貧しさの中で出向いて行く 年間第15主日(マルコ6・7~13)
十二使徒の派遣については、「マタイ福音書」と「ルカ福音書」の中にも登場します。これら二つには、「杖を持ってはならない」とか「履き物は履かない」など、貧しい中で宣教に励む厳しい訓戒に見えますが、「マルコ福音書」で「途中では、杖一本のほかはいっさい、パンも袋も、また帯の中に小銭も持たないように、また、履き物は履いてもよい」(マルコ6・8~9)となっています。「マルコ福音書」ではなぜ緩和した内容になっているのでしょうか。パウロと宣教活動をしたと言われるマルコにとって、宣教した場所が山間部であったり、道が悪かったり、蛇などが出没したりなど、けっこう困難を極める宣教活動でした。杖は蛇などを追い散らすため、また山間部を歩くため、サンダルは必需品でした。そのために、こうした緩和策が取られたのでしょう。ガリラヤのように平坦で歩きやすい所ではなく、山間部での過酷な宣教が想像できます。所持品に関しても、「~しないように」という否定形が多いので、宣教者として貧しく生きることが示されています。
教皇フランシスコは、使徒的勧告『福音の喜び』の「Ⅰ 出向いて行く教会」の中で次のように述べています。「弟子たちの共同体の生活を満たす福音の喜びは、宣教の喜びです。喜びに満ちて派遣されたところから戻ってきた七十二人の弟子たちは、それを体験しました。(中略)イエスは、ある場所に種が蒔かれると、詳しく説いたり、他のしるしを行ったりするためにそれ以上とどまることはせず、聖霊によって導かれるままに他の民のもとへと出向いて行くのです」(『福音の喜び』21番)。
心身共に貧しい中で、身軽に宣教する弟子たち。彼らは貧しい漁師だったので、難しい神学を学ぶこともなかったかもしれません。それでも宣教活動に従事していくところに、イエスに出会った喜びが彼らの中にあったのでしょう。貧しさの中で宣教に従事した弟子たちの意気込みを学びたいものです。
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