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感謝の気持ち 年間第17主日(ヨハネ6・1~15)

 今日のみことばで、弟子たちは五つのパンと二匹の魚について、「こんな大勢の人では、それが何になりましょう」(ヨハネ6・9)と言いますが、イエスは「パンを取り、感謝の祈りをささげ」(ヨハネ6・11)ていきます。同じことでも、五千人のために、弟子たちは数字の上で圧倒的に足りないと痛感しますが、イエスは感謝の祈りを唱えていきます。同じことでも、不平不満か感謝では、大きな違いがあります。

 数年前の5月中旬、大阪のある修道会へ黙想指導に出かけました。参加者の中に、修道誓願60周年を迎える一人の姉妹がいました。講話もしっかりと聞き、そのシスターに面接する機会がありました。

 シスターによれば、家庭は先祖代々仏教徒で函館出身。シスターには二人のお姉さんと妹さん、弟さんがいるとのことでした。一人のお姉さんは結婚して、一人の子どもを授かりましたが、やがて戦争が始まり、ご主人は戦場に駆り出され、やがて戦死。シスターは戦争中、挺身隊として働く日々でしたが、1945年8月15日に玉音放送を聞いて敗戦を知り、翌日から挺身隊の役目が終わったことで仕事を失いました。そのうち函館山のふもとにある士官の家で仕事をすることになり、毎日、カトリック元町教会や反対側の東本願寺の前を通ったとのことでした。お寺には目を止めたものの、教会はいつも門が閉まっていて、訪問することはなかったようです。ところがある日、友人がカトリックの方と結婚することになり、その方と一緒に教会を訪問して、一緒に要理を学び始めました。やがて修道院に入りたいことを両親に話したら、母は賛成しても、父は猛反対。いろいろな修道会がある中で、仙台にある孤児たちの世話をしていた修道会を選びました。お父さんは依然として反対でしたが、それでも青函連絡船で青森まで同行して、見送ってくれたとのことでした。仙台の修道院に入ってからは、戦災孤児のために働く日々。家庭が仏教徒とはいえ、クリスマスの頃になると、家庭から贈り物が届いたそうです。反対していたとはいえ、理解のある家庭だったのでしょう。「今では感謝の気持ちに変わりました」と…。   

 種々の出来事の中で、困難なこともたくさんありますが、振り返ってみると感謝の気持ちに変わってきたりします。


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