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「誰にも知らせないように…」 年間第13主日(マルコ5・21~43)

 今日のみことばには二つの奇跡が出てきます。一つは12年もの間、出血病を患っている女性の癒やしと、もう一つはヤイロの娘の癒やしです。これら二つの中でも特に、ヤイロの娘の癒やしには、何か劇的なものが込められています。

 話の筋として、会堂司であるヤイロがイエスの前にひれ伏し、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうか、おいでになって娘の上に手を置いてやってください」(マルコ5・23)という内容から始まります。身分の高いヤイロがイエスの前でひれ伏すわけですが、とても謙虚な態度です。その途中に、出血病の女性の話が入ってきますが、後半では、「お嬢さんは亡くなられました。もう、先生を煩わすことはないでしょう」(マルコ5・35)と続き、人々のあきらめのような、悲痛な状況が描かれています。そんな中でイエスは、「どうしてあなた方は泣きわめいているのか、子供は死んだのではない。眠っているのだ」(マルコ5・39)とイエスは語り、人々はこの言葉にあざ笑います。確かに死んだ人に対して「眠っている」というのは、多くの人が信じられない光景です。そうやってイエスが手を差し伸べると、娘は癒やされ、生き返っていきます。この出来事について、イエスは人々に「誰にも知らせないように」と沈黙を命じていきます。不思議な出来事に遭遇した人たちが沈黙を守るのは難しいものです。特にすでに亡くなった人が、息を吹き返すほどの恵みを受けたのであれば、なおさらではないでしょうか。こうした逆説をイエスは宣教のためにうまく用いていきます。

 修道院でもそうですが、「ここだけの秘密」「あなただけに言うから他の人には言わないでね」と念を押されると、ついつい好奇心がわいてきて、他の人に話したくなるものです。人間の弱さでしょうか、ふだんの話題が少ないためでしょうか。また逆に、秘密であったはずのものが、どこからともなく情報が漏れ、伝わっていったり…。

 イエスのように、「誰にも知らせないように」と言って、人間の心理を逆に利用するのも、一つのうまい宣教活動かもしれません。


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