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自然災害 年間第12主日(マルコ4・35~41)

 ここ数年、自然災害が増加したように思います。例えば、7年前の夏、高知県辺りは年間降水量の数倍にあたる雨が降り、広島県では土砂災害があって、多くの犠牲者が出ました。さらには御獄山が爆発し、噴火によってたくさんの犠牲者が出ました。一人の信者さんから「御獄山が噴火した時、神父さんが山に登っているのではと思い、はらはらしていました。生きていてよかったです」と言われた時には、とても複雑な思いでした。自然災害が続くと、何か不吉な予感がしたりするものです。

 ある年は春一番が吹かなかったので、安心していたら、「春一番が吹かない年は、自然災害が多い」とある解説者が語っていました。その意味でも、今年は異常気象の年なのかもしれません。四月上旬、桜が満開になったかと思えば、雪が降ったり、四月下旬にもかかわらず、気温が27度近くまで上昇し、夏日のような気候になったり…。嵐の前兆でしょうか。

 さて今日のみことばで、イエスと弟子たちは船を漕ぎ出して湖を航行します。イエスは疲れ切っていたのか、ぐっすりと眠っています。そんな状況で激しい突風が起こります。突然の嵐に弟子たちは怖がっていきます。

 ここでの嵐にはどんな意味が込められているでしょうか。嵐は初代教会での迫害や殉教などの意味が込められています。つまり、ローマ帝国によってキリスト者たちが迫害され、人々はおびえ、地下に隠れ潜んでいました。いつ自分たちが逮捕されるかハラハラしていたのではないでしょうか。そんな状況に対して、イエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と語ります。厳しい迫害であればあるほど、信仰を求められるものです。

 韓国にもたくさんの殉教地があります。ソウルの郊外の聖地には、殉教した時の状況が展示されています。とても残酷な状況に目を覆うようなものもあります。まさに日本のキリシタンたちが受けた殉教と同様に…。

 自然災害や嵐を通して、自分自身の信仰を振り返ったり、殉教者たちの思いに浸るのも大切なことかもしれません。


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