信仰の種という種 年間第11主日(マルコ4・26〜34)
農家の人たちは、作物を収穫する時期を考えて種を蒔きます。例えば、夏の果物の定番の一つであるスイカは、3月中旬から4月中旬にかけて種を蒔きます。そうすると私たちは、7月、8月にかけておいしスイカを食べることができるのです。農家の人たちは、作物の成長に応じて水や肥料をやったり、雑草を抜いたりして大切に育てて行きます。私たち一人ひとりに蒔かれた信仰の種は同じようにおん父の愛によって成長させてくださっているのではないでしょうか。
きょうのみことばは、神の国の喩え話です。イエス様は、「神の国は人が大地に種を蒔くようなものである。種を蒔く人が夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出し成長する」と人々に話され始められます。この節を見るとき、「人が大地に種を蒔く」の【人】って誰のことなのかな、「私」なのか「イエス様」なのかと迷ってしまいます。この【人】は、もし種を蒔く人が「私」だとすれば、その後に続く【実り】は、私たちが行う使徒職、福音宣教の実りということになります。そして、蒔く人がイエス様でしたらその後の実りは、私たち一人ひとりの【信仰】となるのではないでしょうか。ただ、共通することは、私たちの力だけでは、豊かな【実り】である【神の国】とならないということです。
今回の場合の「種を蒔く人」は、イエス様ということに焦点をあてて分かち合いたいと思います。イエス様は、私たち一人ひとりに【信仰の種】を蒔いてくださいました。そして、その種の成長は、「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出し成長する。」のです。この「夜昼、寝起きする」というのは、時間の経過ということのようです。ですから、イエス様が種を蒔かれた【信仰の種】は、すぐに発芽するということではなく、私たちの生活に合わせて時間をかけてゆっくり成長し発芽して行くのです。洗礼を望んでいる私の友達に「洗礼を受けたらどのようになるのですか」と尋ねられたことがあります。私は、その人に「直ぐには、変わらないと思いますが、イエス様との触れ合いがもっと豊かになります」と答えた記憶があります。それから数十年経ちますが、とても信仰深い方になられています。
さて、不思議なことに「種を蒔いた人はどうしてそうなるのかを知らない」とあります。イエス様が種を蒔かれたのでしたら、種の成長をご存知のはずです。このことは、イエス様が【信仰の種】を成長させてくださるおん父にお任せしているということではないでしょうか。イエス様は「大地は自ら働き……豊かな実を生ずる」と言われます。この【大地の働き】というのは、おん父の働きと言ってもいいでしょう。おん父は、ご自分の子であるイエス様が私たち一人ひとりに蒔かれた【信仰の種】をアガペの愛を持って大切に「豊かな実」を結ぶまで成長させてくださいます。それもゆっくりとその人の状態に合わせて成長させてくださるのです。時には、自然災害のような台風や日照りが続くこともあるかもしれません。それでも、おん父は、時間をかけてゆっくり育ててくださいます。パウロはコリント人に宛てた手紙の中で「わたしは植え、アポロは水をやりました。しかし、成長させてくださったのは神です」(1コリント3・6)と言っています。このことに信頼して歩むことができたらいいですね。
もちろん、おん父が私たちの【信仰の種】を成長させてくださるのでイエス様は、何もされないということではありません。農家の人が草をとったり、水をやったり、時には支えの柱を立てるようにイエス様は、私たちの側にいておん父と一緒に育ててくださいます。しかし残念なことにそれだけでは、【信仰の種】は成長しません。そこに私たちが「芽を出そう」という働きが必要なのです。いくらイエス様が肥料や水をあげても私たちが実を結ぶ協力しなければ、根腐れをおこしせっかくの信仰の種を台無しにしています。私たちの【信仰の実り】は、おん父の大地の愛、側にいて働かれるイエス様の愛、その愛に応えようとする私たちの感謝の愛によって実るのではないでしょうか。そして【愛】の流れをスムーズにしてくださるのが聖霊の働きとなるのでしょう。
次にイエス様は、「神の国は何になぞらえよう……」と言われ、私たちのために歩み寄られ、私たちがわかるような『芥子種の喩え』を語られます。イエス様は、芥子種という小さな種が成長すると「どんな野菜よりも大きくなり、その陰に空の鳥が宿るほど大きな枝を張る」と言われます。この光景が【信仰の実り】という【神の国】の状態と言ってもいいでしょう。パウロは「……主に喜ばれる者でありたいとひたすら望んでもいます」(2コリント5・9)と言っていますが、この気持ちこそが、【神の国】をさらに豊かなものにしようとする私たちの働きと言ってもいいのではないでしょうか。そして、私たちが主に喜ばれるような生活をしていると、鳥が宿るように周りの人も私たちの【信仰の実り】に惹かれてイエス様の方に目を向けて行くことでしょう。
私たちは、イエス様から蒔かれた【信仰の種】を三位一体の主と共に、また、信頼のうちに豊かに実らせ、【神の国】の喜びを周りの人たちと分かち合うことができたらいいですね。
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