三位一体の主とともにという種 三位一体の主日(マタイ28・16〜20)
私たちは、1日の中で【三位一体の主】の名を何回唱えているでしょうか。私たちは、祈りを唱える前後に必ず【十字を切り】その中で「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と唱えます。また、『栄唱』を唱える時も「栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に。アーメン」と唱えます。このように私たちは、日に何度も【三位一体の主】の名を唱えています。私たちは、この【三位一体の主】をもう少し意識しながら唱えることができたら、「十字を切ること」や『栄唱』がより深いものとなるかもしれませんね。
きょうの典礼は「三位一体の主日」であり、みことばは復活後のイエス様が「すべての国の人々を弟子にしなさい」と言われ弟子たちを派遣される場面です。弟子たちは、婦人たちがみ使いから「……急いで行って弟子たちにこう告げなさい、『イエスは死者の中から復活された。あなた方よりも先にガリラヤに行かれる。あなた方はそこでイエスにお会いできる』」(マタイ28・7)と言われたことを聞きエルサレムからガリラヤに行きます。
彼らは、どのような気持ちでガリラヤに戻ったのでしょうか。弟子たちは、イエス様とエルサレムに向かった道を通ってガリラヤに帰ったでしょうから、道すがらイエス様がなさった奇跡や教えを思い出しながら歩いていたことでしょう。そして、復活したイエス様に会うことができる喜びもあったでしょうし、イエス様を置いて逃げて行った後ろめたさ、復活されたイエス様ってどのようなお方なのだろうか、ユダヤ人たちやローマ兵たちに捕らえられないかなど複雑な気持ちでガリラヤに向かったのかもしれません。彼らは、ガリラヤに着きイエス様がお示しになられた山に行きます。もしかすると彼らは、イエス様が「最後の晩餐」の場で「……わたしは復活した後、あなた方より先にガリラヤに行く」(マタイ26・12)と言われた時に出会う場所を聞いていたのかもしれません。そしてこの山は、イエス様が弟子たちや人々に教えた「山上の説教」(マタイ5・1〜7・28)を語られた【山】のようです。
弟子たちは、山に上りイエス様と出会い、再会を喜ぶ前にまず「伏し拝み」ます。この時のイエス様のお姿は、彼らにとって今まで一緒に過ごしてきたイエス様ではなく神々しく映ったのではないでしょうか。もしかしたら、自分たちがイエス様を裏切って逃げたことへの謝罪の気持ちもあったのかもしれません。彼らはイエス様のお顔をまともに見ることができず【伏し拝み】ます。
さらにみことばは「疑う者もいた」と書かれてあります。ヨハネ福音書では、トマスが復活されたイエス様に出会うまで信じることができませんでしたし(ヨハネ20・25)、マルコ福音書でもイエス様が復活したことを聞いても信じなかった弟子たち(マルコ16・13)が描かれ、ルカ福音書では「幽霊を見ているのだと思った」(ルカ24・37)とありますからやはりイエス様の復活をすぐには信じることができなかったようです。ですから、マタイ福音者でも、弟子たちの中に【疑う者】がいても当たり前と言ってもいいのではないでしょうか。イエス様は、そんな彼らの心をお咎めにならず、ご自分から弟子たちの方に近づかれます。ここに、イエス様の愛と赦しが込められているのではないでしょうか。みことばには書かれてありませんが、ここで初めて弟子たちは、イエス様と抱擁しあい復活されたイエス様との出会いを喜びあったことでしょう。
イエス様は、弟子たちに「わたしは天においても地においても、すべての権能が与えられている。それ故、あなた方は行って、すべての国の人々を弟子にしなさい」と言われ彼らを派遣されます。弟子たちは、かつて派遣された時の「病人を癒し、死者を生き返らせ、重い皮膚病を清め、悪霊を追い出しなさい」(マタイ10・8)と言われたことを思い出したことでしょうし、さらに今回はイエス様のすべての権能までを惜しみなく受けたのでした。私たちは、イエス様が溢れんばかりのアガペの愛によってくださったこの権能に感謝と信頼のうちにみことばを伝えることが出来るのではないでしょうか。
イエス様は、「父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、わたしが命じたことを、すべて守るように教えなさい」と言われます。弟子たちは、イエス様から『山上の説教』を教えられた同じ場所で「わたしが命じたことを、すべて守るように教えなさい」と耳にし、「あっ、あの時の教えだ」と思い起こしたことでしょう。彼らは、イエス様から派遣され、みことばを伝え、人々に「三位一体の名に入る【洗礼】」を授けてイエス様の弟子を増やしていきます。私たちは、この同じ【三位一体の主】の溢れんばかりのアガペの愛に包まれ【洗礼】の恵みをいただいています。そして今度は、私たちがイエス様の弟子としてみことばを伝える使命をいただいたのです。イエス様は、「わたしは代(よ)の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」と言われます。イエス様は、私たちと共にいてくださり、私たちの小さな働きを豊かな実りへと導いてくださいます。私たちは、このことに信頼して【三位一体の主】とともに日々みことばを伝えることができたらいいですね。
0コメント