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聖霊の恵み 聖霊降臨の主日(ヨハネ15・26~27、16・12~15)

 この10年、20年で、とてつもなく早いスピードでいろいろな物事が動いているように思います。これだけ変化が激しいと、社会状況についていけない人も多いのではないでしょうか。私もその一人かもしれません。雑誌の仕事のために、コンピュータを駆使していますが、今や紙媒体から電子書籍、電子雑誌へと移行しています。そこへ到達するには、メンタリティーの変革、新しい技術の勉強、好奇心が求められるでしょう。そこまでたどり着けないので、なおさら格差が広がっていくような感じもします。

 「霊」のことをギリシア語では「プネウマ」が使われています。この言葉には「息」「呼吸」という意味も含まれ、目には見えないが、人間が生きていく上で不可欠なものが表されています。日本語で「霊」と聞くと、「幽霊」「悪霊」と、何となく悪いイメージのほうが先に浮かんできてしまって、「プネウマ」本来の意味が薄れているかもしれません。その点で、「霊」というのは、人間が気づかなくても与えられるたいせつなものです。

 今日のみことばの中で、「わたしが父のもとから、あなた方に遣わす弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来られるとき、この方がわたしについて証ししてくださる」(ヨハ15・26)とイエスは語ります。「霊」と「弁護者」が関連しています。「弁護者」は原語では「パラクレートス」が使われ、「助け主」「忠告者」「保護者」と言った意味があり、幅広く使われている言葉です。何か私たちのために「弁護」するだけではなく、困っている時には支え、アドバイスをし、支えてくれる意味が込められています。広くとらえたほうが、「弁護者」の意味がよく分かるような気がします。

 変化が激しい時代にあって、目に見えない、変わることのない聖霊の恵みが不可欠です。 「真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなた方を導いてくださる」(ヨハネ16・13)と。目に見えない聖霊の恵みを感じます。


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