復活の恵みという種 主の昇天(マルコ16・15〜20)
私の両親は、2人とも他界しています。ただ、不思議なことにいつでも私の側にいる、という感じがして生前よりも近くなった感じがいたします。もしかしたら、弟子たちもイエス様が昇天された時も同じように感じたのかもしれません。
きょうの典礼は「主の昇天」ですし、みことばもイエス様が弟子たちを全世界に派遣し天に昇られる場面です。きょうのみことばの前の節には、「……その不信仰と頑なな心とをお咎めになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(マルコ16・14)とあります。イエス様は、弟子たちの信仰がまだ成熟していないことをご存知でした。それでも弟子たちに「全世界に行き、造られた全てのものに福音を宣べ伝えなさい。」と言われて彼らを派遣されます。なぜイエス様は、まだ信仰が未熟な弟子たちを派遣されたのでしょうか。きっと弟子たちも自分たちの信仰が弱いということに気がついていたことでしょう。しかし、それだからこそ弟子たちは、宣教に出かけることができたのではないでしょうか。もし、自分は十分に宣教に出かける自信がある、と思っていたとしたら人々の中に上手く伝わらないばかりか、悪い影響を与える危険性があるかもしれません。
また、イエス様は、弟子たちに初めから完全な信仰を求めていなかったのかもしれません。イエス様は、彼らが不完全だったからこそ派遣されたのではないでしょうか。このことは、私たちに大きな勇気を与えてくださいます。私たちは、一人ひとり洗礼の恵みを頂き、みことばを伝えるという使命を与えられています。それぞれの場で使徒職を果たす場合、時には自分の能力の範囲を超えたことを要求されるかもしれません。そのようなとき、「私は上手くできるだろうか」と不安を感じることがあることでしょう。パウロは「……聖なる人々を奉仕の働きができるように準備させ、キリストの体に築き上げるためです。……成熟した大人、すなわち、キリストのうちに満ちているもので満たされ、その背丈まで達するようになるのです。」(エフェソ4・12〜13)。と言っています。私たちは、イエス様が準備してくださるさまざまな恵みによって福音宣教し徐々に成長して、イエス様の背丈まで達することができるのではないでしょうか。
イエス様は、ご自分を信じて洗礼を受けた人には、「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉で語る」と言われます。イエス様は弟子たちと共に福音宣教をされていた時、何人もの悪霊に憑かれた人たちを癒され、また、みことばを伝えていました。弟子たちは、イエス様がなさったそれらのことを見て体験していますし、イエス様から彼らも派遣され、汚れた霊に対する権能を与えられています(マルコ6・7)。また弟子たちは、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、多くの悪霊を追い出しています(マルコ6・12)。もちろん、この時も彼らは、不安に思ったことでしょうが、まだイエス様がおられるという安心感があったのかもしれません。
さらにイエス様は、蛇をつかみ、また毒を飲んでも、決して害を受けないと言われます。蛇とはイエス様の教えに反対する人たちであり、先程の罪に定められた信じない人たちのことのようです。また、その毒というのは、彼らの教えや行いというようなもの、つまり反教会的なものと言ってもいいでしょう。イエス様は、弟子たちに反対する人たちが現れても何の害も受けることはない、心配しなくてもいいと言われているようです。イエス様は、ご自分が弟子たちにかつて教え、体験させたことを思いださせ語られます。これは、イエス様の弟子たちに対してご自分の思いを託されたと言ってもいいのかもしれません。イエス様は、弟子たちに語られた後に天に上げられ、神の右の座に着かれます。弟子たちは、この光景を見てどのように感じたことでしょう。
弟子たちは、イエス様が昇天された場所に留まのではなく、出かけて行き至る所で福音を宣べ伝えます。彼らは希望に喜びに満ちイエス様が彼らに語られてことを実践していきます。みことばは、「主は弟子たちとともに働き、徴を伴わせて、弟子たちの言葉を確かなものとされた。」とあります。私たちは福音宣教をするとき、【私】だけがするのではなく、常にイエス様が一緒にいてくださり、イエス様と【共働】することによって多くの実りを得ることができるのです。イエス様は、私たちの中で働かれ私たちの言葉(使徒職)を確かなものとしてくださるのではないでしょうか。
みことばの最後の方に、「婦人たちは、命じられたことをすべてかいつまんで、ペトロと仲間たちに告げた。」とあります。彼女たちはかつてわれを失うほど恐れおののいて墓から逃げ出し、誰にも何も言えなかった(マルコ16・8)にも関わらず、ペトロたちに話すことができるようになりました。きっと、彼女たちも復活されたイエス様によって変えられたのではないでしょうか。イエス様の復活の恵みは、信仰を強めその喜びを人々に伝えようと湧いて来るのではないでしょうか。私たちは、イエス様から与えられた使命を果たすことが出来るよう豊かな信仰を祈り求めることができたらいいですね。
0コメント