※2021年10月17日でこのホームページの更新は終了しました。最新情報は新しいホームページからご覧ください。


愛の掟という種 復活節第6主日(ヨハネ15・9〜17)

 私たちは、【掟】とか【規則】という言葉を聞くとき、何だか束縛されるとか、自由が制限されるとか思ってしまいます。しかし、もしこれらの【掟】とか【規則】が無くなれば、私たちは、自分の安全が保証されません。例えば、交通ルールが無視されたとしたら、横断歩道も安心して渡ることもできません。

 きょうのみことばは、イエス様が私たちに最高の【掟】を教えてくださった場面です。イエス様は、「父がわたしを愛してくださったように、わたしもあなた方を愛してきた。わたしの愛のうちに留まりなさい。」と言われます。イエス様は、私たちを【おん父から受けた同じ愛】で愛してくださり、さらにもっと深い【愛】の絆で結ばれるように留まりなさいと言われておられます。私たちは好きな人、愛している人と一緒に居たいと思うことでしょう。イエス様は、私たちといつまでも一緒にいることを望んでおられるのです。ただしイエス様が私たちにお示しになられた【掟】である「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと」を守るということが条件でした。

 ヨハネ福音書では、この前の章でも「わたしは新しい掟をあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ14・34)と書かれて、「あなた方がわたしを愛しているなら、わたしの掟を守るはずである」(ヨハネ14・15)とも書かれています。イエス様は、何度も繰り返しながら最も大切な「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと」という【掟】を与えてくださったのです。

 さらに、この【掟】は、「おん父」から「おん子」そして「私たち」に受け継がれていると言ってもいいでしょう。それは、おん父が天地を創造するときからでした。私たちは、【愛】の中で生まれ、育まれ、今を生きているとのです。私たちは、おん父とイエス様の愛に包まれています。それは赤ちゃんが母親のお腹の中で育つような、安心に満ちた状態と言ってもいいのかもしれません。さらに、イエス様は、「わたしの喜びがあなた方のうちにあり、あなた方の喜びが満ち溢れるためである」と言われます。これは、涸れることがない泉のように永遠に私たちの中でこの愛し合う【喜び】で満たされるという意味なのではないでしょうか。私たちは、これほどまでもイエス様から愛されているのです。

 イエス様は、「わたしが命じることを行うなら、あなた方はわたしの友である」と繰り返し言われます。この【友】とは、私たちがいう「友達」「親友」という以上の関係と言ってもいいでしょう。それはイエス様が言われる「友のために命を捨てること、これ以上の愛を人は持ち得ない」と言われる【友】ということではないでしょうか。イエス様は、私たちのために十字架にかけられて亡くなられました。イエス様は、私たち一人ひとりを【友】として愛してくださり、その結果として自らを死に渡されました。イエス様は、「……わたしは自分の命を捨てる。……わたしが自分から命を捨てる。わたしは自由に命を捨て、また、再び命を得る力を有している。」(ヨハネ10・17〜18)と少し前に弟子たちに話されました。イエス様は、まずご自分が【友】としてのお姿を示しくださいました。私たちは、どれほどの愛を頂いているのでしょう。今一度私たちの心の中を振り返ってみてみることもいいのではないでしょうか。

 イエス様は、「あなた方がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだのである」と言われます。私たちは、イエス様から【友】とされ、イエス様の方から手を伸ばしてくださって一人ひとり選ばれたのです。イエス様は、私たちの罪深さ、弱さなどをよくご存知です。イエス様は、私たちが罪を犯しているから「選んであげない」「友と呼ばない」と言われません。イエス様は、私たちが罪を犯して傷だらけでも、自分の惨めさに落胆した状態でも、私たち一人ひとりを愛してくださり、友と呼んでくださいます。イエス様は、私たちを【愛】で包まれ、ご自分との【喜び】を共有すること、永遠に続くおん父との食卓をともにすることを望んでおられます。

 私たちは、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと」という掟を守るとき、ぶどうの枝が豊かな実をつけるような【実】を結ぶことができるのではないでしょうか。しかし、私たちは「互いに愛し合う」ことの難しさも知っています。私たちは、お互い愛し合って実を結び結婚生活をしていても、その愛を持続することの難しさ、痛みを知っています。イエス様は、そんな私たちに「わたしの名によって父に願うことは、何でもかなえていただけるようになるためである」と言われます。イエス様はこれと同じような言葉を言われています〔ヨハネ14・13〜14、15・7〕。イエス様は、私たちが「互いに愛する」ことの困難を覚えた時には「願いなさい」、「祈りなさい」と言われているのではないでしょうか。イエス様は、最後に「あなた方が互いに愛し合うこと、これをわたしはあなた方に命じる」と言われます。私たちは、このイエス様から与えられた【愛の掟】を心に刻み、目標としながら歩んでいくことができるように祈ることができたらいいですね。


※2021年10月17日でこのホームページの更新は終了しました。最新情報は新しいホームページからご覧ください。

※一定期間後、このページはアクセスできなくなります。