「互いに愛し合う」復活節第6主日(ヨハネ15・9~17)
6年前の3月17日、長崎の大浦天主堂で信徒発見150年を迎えました。日本の教会史にとって一つの節目であり、その歴史はとても素晴らしいものです。信徒たちが困難の中にあっても信仰を受け継ぎ、伝えていった歩みを垣間見ることができます。
キリシタンたちに禁教令が全国に出されたのは、1614年のことです。それに伴って迫害がだんだん厳しくなり、踏絵も行われるようになって取り締まりも強化されていきました。そういう中で信仰を受け継いでいくのは、並大抵のことではなかったはずです。それでも、信徒たちは次世代に信仰を伝えていきました。この出来事で忘れてはならないことは、一人ひとりの信仰もそうでしょうが、厳しい環境の中でもお互いに助け合い、励まし合うことができたからこそ、伝わっていったのではないでしょうか。
外海の山奥に、バスチャンが住んでいただろうという住居跡が残っています。一度、訪問したことがありますが、外海地区の出津や黒崎から山奥の深い所に、ひっそりとその場所です。山道からちょっと中へ入ったところで、簡単には分かりません。建物も小さな小屋程度の大きさ。バスチャンは、七代したら宣教師がやってくることを予言した人です。具体的には、次のような内容です。「➀皆を七代までわが子とする、②その後はコンヘソール(罪の告白を聞いてくれる神父)が黒船でやってきて毎日でもコンヒサン(告白)ができる、③どこででもキリシタンの歌を歌って歩ける、➃異教徒とすれ違うときは相手が道を譲る」と。
こうした予言に希望を抱き、お互いに支え合いながら、潜伏キリシタンたちは信仰を守ってきました。今日のみことばに出てくる「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」(ヨハネ15・12)ということばが、潜伏キリシタンたちの姿と重なって見えます。
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