惜しみなくささげる 四旬節第2主日(マルコ9・2~10)
イエスは高い山に登り、ご自身の姿が変わっていきます。「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほどの白さ」だったと言います。人間の理解をはるかに超えた神のなせる業です。同時に、イエス自身が復活を前にして、栄光の姿を事前に示された時でした。
四旬節中は苦しみを強調していきますが、今日の箇所は、私たちにとってただ苦しみだけではなく、復活の栄光がやがて訪れることを暗示させてくれる出来事ではないでしょうか。
ペトロは口をはさんで「先生、わたしたちがここにいるのはすばらしいことです」と語ります。ペトロにとって、復活の栄光がまだ漠然としていますが、モーセとの出会い、エリアとの出会い、キリストとの出会いを思うことで、その意味が徐々に高められていきます。
また雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け」と声がします。第一朗読の中でアブラハムが登場しますが、大切な一人息子のイサクを「焼き尽くす献げ物にしなさい」とアブラハムは命じられます。アブラハムにとって大切な一人息子でしたが、神の命令に忠実に従い、惜しみなく奉献しようとします。やがてアブラハムはヤコブをいけにえとして献げようとすると、主の御使いから「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(創世記22・12)と、ストップをかけられます。惜しみなく奉献するアブラハムの熱意を神は顧みて、アブラハムは息子の代わりに雄羊をいけにえとしてささげます。
アブラハムの奉献以上に、御父もまた最愛の子イエスを奉献します。惜しみなく与える最大の模範です。こうした計り知れない恵みを思う時、私たちも惜しみなく奉献する心を今日のみことばから考えてみたいものです。
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