二人の子ども――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(27)
幼稚園の話のついで、一人の男の子のエピソードを紹介したいと思う。
それは実の母親に捨てられ、一人の会員が私たちの「子どもの巣」に連れてきた子どものことである。ある日の午後、道端で幼な子の激しい泣き声がしたので、一人の会員が驚いて立ち止まった。辺りを見回すと、家の玄関の前で六歳くらいの女の子が、火がついたように泣いている二~三歳の男の子を困り果てたように、しかし優しくなだめていた。
神父は近づいていってその男の子をあやしながら、小さな姉になぜこの小さな子はそんなに激しく泣いているのか、訳を尋ねた。女の子は答えた。「お父さんは兵隊です。お母さんは私たちをかわいがってくれないで、けさ家を出て行ってしまいました。私たちにご飯もおかずも置いていきませんでした。それで弟はおなかがすいて、すいて……。よかったら何か食べ物を分けてくれませんか?」。
この悲痛な言葉を聞いた神父はショックを受けた。彼は一瞬のためらいもなく、幼い男の子を自分の腕に抱き取り、そのあふれる涙をぬぐってやり、一生懸命慰めようとした。そして小さい姉の手を取って教会へと向かった。
こうして飢えた二人の子どもは元気を取り戻し、やがて他の子どもたちがその周りに集まってきた。この二人は自分たちがみんなの注目と同情の的になっているのに気づき、口元に笑みが戻ってきた。女の先生は、特にこのかわいそうな二人のみなし子の世話をしてくれた。その時からこの「坊や」とその姉は、園児たちの仲間となり、ここで数年間一緒に学び、宗教教育も受けた。二人の子どもをあわれに思って連れ帰った神父は、彼らの成長ぶりを見てたいへん満足し、深い喜びを覚えたのである。確かに、この二人の子どもの将来を心配していた人々のうちで、一番幸せだったのは彼であり、彼はこのことを「神の摂理」としていつも感謝していた。
- ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より
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