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日曜日――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(25)

 王子の二階建ての集会所が広いと感じていたのは、最初のわずか数週間だけであった。その家は、二階がテラスのある大きな部屋だった。ここを主任司祭と助任司祭のための書斎として私たちは自分たちの荷物を置き、部屋の残りの部分はこれから来る会員たちのために空けておいた。

 一階には、二階の部屋の真下に小聖堂があり、そこに祭壇と祭服を収納する戸棚、ミサ用の祭具を置くテーブルを置いた。祭壇の前には、聖パウロ修道会の会員のための狭い空間を設け、そこで聖体訪問を行っていた。広間には高さが二メートルほどの開閉扉があり、この扉によって静寂な「聖所」と、大きな広間とに仕切られていた。この大広間は日曜日には聖堂となり、平日はさまざまな活動と集会の場所として使われた。

 広間の西側には伝統的な日本の庭が見られたが、そこは間もなく子どもたちの遊び場に姿を変えた。広間の東側にも取りはずしのできる障子があったが、それはいつも閉め切られていた。広間の周囲には内廊下があり、表玄関の方には洋式の応接間や台所があり、その奥に浴室と和室が二部屋あった。

 「主の日」すなわち日曜日ともなると、中央の大広間は活気と喜びで満ちあふれた。

 メインのミサは朝の九時から始まったが、早起きの信徒たちは八時ごろからすでに集まって来て、ミサの開始を待つ間に「ゆるしの秘跡」を受けたり、個人的に祈っていた。ミサではみな、座布団の上にひざまずいて信者としての基本的な祈りを唱えたり、司式司祭の呼び掛けに応えたりして、その日の典礼にふさわしい聖歌を歌っていた。

 子どもたちは男女別にグループでまとまり、祭壇の近くに座っていた。成人の男性は晴れ着を着用し、女性は頭に白いヴェールをかぶっているので、すぐに見分けることができた。ミサの説教は通常、主任司祭が行い、信徒たちは注意深く、沈黙のうちに静かに聞いていた。信徒たちはみな聖体拝領をし、共同体がそろって日曜日の信者の基本的な務めを果たしていた。ミサが終わると開閉扉は閉められ、祭壇と大広間は仕切られる。そして控えめにではあるが、広間には喜びにあふれた賑わいが涌き起こるのだ。信徒たちは司祭たちに深くお辞儀をしながら、「おはようございます」と挨拶する。それからお茶が出され、その後、子どもたちは公教要理の勉強のために二つのグループに分かれる。年長組はパウロ神父が、年少組はロレンツォ神父が受け持った。約一カ月後には、求道者のための講義も始まった。このため子どもたちのカトリック教理の授業と指導は、上級生の男女の学生たちに委ねられた。


  • ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より

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