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権威ある者 年間第4主日(マルコ1・21~28)

 種々の修道会には、「会則」「会憲」の他に、細かい内容を記載した「手引書」のようなものがあったりします。私が所属する聖パウロ修道会にも、「会憲・指導書」の他に、「聖パウロ修道会における権威の奉仕―手引書―」というのがあり、修道院会議での選挙方法や総本部へ提出する書類の書式など、細かい内容を記した手引書(マニュアル)で、「会憲・指導書」の倍くらいのページがあります。当初、直訳の形で「権威の手引書」となっていたのですが、「権威」という言葉に違和感が感じられることや、何となく威圧的だということで、少し柔らかくするために「聖パウロ修道会における権威の奉仕」という訳になりました。

 「権威」を「国語辞典」で調べてみると、「➀すぐれた者として、他人を威圧して自分に従わせる威力。また、万人が認めて従わなければならないような価値の力。②専門の知識・技術について、その方面で最高の人だと一般に認められている人。大家」(岩波書店)と記されています。「権威」と聞くと➀の方が最初に浮かんできて、威圧的なイメージを持つのも頷けます。同時に最近では「権威」と聞いただけで嫌がる人もいます。そこには「パワーハラスメント」のように、上からの圧力に感じるからかもしれません。

 「権威」のことをイタリア語では「autorita’」と表現し、「autore」に派生するものです。つまり「作り手」「創始者」「著者」「原作者」などを意味しており、何もないところから新しい作品を作っていくような創造性のある、また夢のあるような意味です。威圧的よりも創造性のあるイメージ。

今日のみことばに出てくる「イエスが律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられた」(マルコ1・22)とあるのは、何も威圧的なものではなく、むしろ②の中にあるような専門の知識、最高の人だと認められているような雰囲気、創造的なものでしょう。

 イエスが権威ある者のように語りかける状況には、積極的で創造性に満ちた内容で考えていくと、分かりやすいのかもしれません。


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