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イエス様の眼差しという種 年間第3主日(マルコ1・14〜20)

 春になると、新学期や新入社員が新しい環境の中で自分の道を歩み始めます。また、逆に、それまでいた人は、次の学年や別の部署、または、退職する人もいることでしょう。特に、職場などで別の所へ異動する人は、次の人のために引き継ぎをしなければなりません。また、後任は、前任の仕事を踏襲(とうしゅう)しながら、自分の考えや工夫を凝らしてさらに良い方向へと進んでいくことでしょう。

 きょうのみことばは、イエス様が宣教を始めるにあたって弟子たちを召し出す場面です。イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、聖霊に荒れ野に追いやられた後に宣教を始められます。みことばは、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて仰せになった、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』」とあります。洗礼者ヨハネは、イエス様が来られるまで人々に「罪の赦しへと導く悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました(マルコ1・4)。イエス様は、その洗礼者ヨハネが捕らえられた後に、「悔い改めて福音を信じなさい」とヨハネが言っていた【悔い改め】を人々に宣べ伝えます。人々は、イエス様のこの言葉を聞いて、「この方こそ、洗礼者ヨハネが『わたしよりも力のある方が、後からおいでになる。……わたしは水であなた方に洗礼を授けたが、その方は聖霊によって聖霊をお授けになる』と言っていた方なのだ」(マルコ1・6〜8)と思ったのではないでしょうか。もちろん、洗礼者ヨハネは、自分の意思で「罪の赦しへと導く悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた」のではなく、おん父の導きによって言っていました。イエス様もまた、洗礼者ヨハネがおん父から示された意向を踏襲しながら宣教し始められます。

 イエス様の宣教は、華やかでイスラエルの中心であり、神殿があるエルサレムではなく、「……ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、闇に住む民は大いなる光を見た。死の影に覆われた地に住む人々に光が昇った」(マタイ4・15〜16)とありますように、ガリラヤから始められます。イエス様は、「時は満ち、神の国は近づいた」と言われます。ここでイエス様は、「おん父の救いの時、栄光が現れる時がもう直ぐ来ますよ」と言われているようです。ガリラヤの人々は、エルサレムの人たちよりも「おん父からの救い」を待ち望んでいたでしょうし、いつも「闇に住む民」と蔑まれ、貧しい人も多かったのではないでしょうか。そのような人々の中でイエス様の「時は満ち、神の国は近づいた」という言葉は、「自分たちの所に、おん父がもうすぐ来られる」という希望の声として響いたことでしょう。

 イエス様は、「悔い改めて福音を信じなさい」と言われます。この「悔い改め」というのは、おん父の方に心を向けて近づくということですから、もうすでに【福音】を味わっていたか、「これが【福音】なのかな」と気づき始めていた、と言ってもいいでしょう。ただ、今までの生活のままでは、【福音】を味わうことができないため、畏れや不安が生じているのかもしれません。例えば、初めて水泳をする人は、本当に泳ぐことができるのだろうか、と不安な気持ちになります。しかし、指導されて泳ぐことができると、楽しくなりさらにもっと上手に泳ぐことができるようになります。イエス様は、「これから味わう【福音】こそが、おん父から与えられたもの、おん父に近づく道なのですよ。だから勇気を持ってその【福音】を信じなさい。」と言われているのではないでしょうか。

 イエス様は、ガリラヤ湖のほとりを通られ、シモンとアンデレが湖で網を打っているのをご覧になられます。イエス様は、ただ彼らを見ているのではなく、彼らの中に何かを感じられたのでしょう。彼らは特別な人でも、信心深い人でもなく、貧しく生きるために、釣った魚を売って僅かなお金で生計を立てていました。そんな彼らをイエス様は、じっくりとご覧になられこれから一緒に宣教をしようと「わたしについて来なさい。人を漁る漁師にしよう」と声をかけられます。イエス様は、彼らがいましている仕事をそのまま生かして「人を漁る漁師にしよう」と言われます。彼らは、イエス様に声をかけられた時に何か自分たちの中に響くものがあったのでしょう。彼らは、ただちに自分たちの生活に欠かせない大切な網(自我)を捨ててイエス様に従っていきます。

 イエス様は、彼らと一緒にさらにヤコブとヨハネの所に行きます。この間イエス様とシモンとアンデレたちは、どのような会話をしていたのでしょうか。もしかしたら、彼らとヤコブとヨハネは、気があった漁師仲間で、彼らのことをイエス様に話したのかも知れません。イエス様は、ヤコブとヨハネの所に行き、再び彼らを【ご覧に】なられ彼らにも声をかけられます。彼らは、父と雇い人を残してイエス様に従っていきます。イエス様は、私たち一人ひとりにもしっかりご覧になられて、弟子たちのように声をかけられ招かれています。私たちは、イエス様の招きに気づきエゴを捨てて従っていくことが出来たらいいですね。


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