日蓮聖人、大森区の守護聖人――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(21)

 私たちは町の住民とその習慣についての知識を深めるため、地域の特色ある宗教の祭りに参加したいと考えた。そしてそれは、人口の多いこの大森地区の守護者である日蓮聖人にささげられている、とても美しい寺で行われている祭りであった。日蓮は生前、その英雄的な慈愛によって広く人々に知られていて、日本の各地であがめられている人物であった。

 ある秋のことであった。「例大祭」のため大森には日本全国から多くの信者が集まり、寺は大いに賑わっていた。沿道の家はみな提灯をつり下げ、無数の灯火が舞う中で旗や幟、看板などが華々しく飾られていた。金色の寺は高い緑の木々の間に荘厳にそびえていて、周囲の町並みを見下ろしていた。祭りに訪れた人たちの精神状態は、地域の全住民が参加する盛大な行事の期待に大きくふくらみ、特別な喜びと期待に満ちあふれていた。子どもたちは小旗を手に大声で騒ぎながら道を練り歩き、偉大な仏教の僧侶であった日蓮に心からの尊敬を表すため、また神仏が個人とその家族の上に、健康と幸福で平穏な日々を与えてくださるように日蓮聖人の取り次ぎを願いながら、旗を打ち振っていた。

 待望の祭日前夜になった。すべての門徒、個人、家族、団体は大行列を作り、大声で「日蓮! 日蓮!」と叫びながら寺のある丘へと行進を続けた。彼らは夜半には寺に到着して、「聖人様」からの最初に恵みを授かろうというのである。私たち二人の宣教師も、数名のカトリック青年と一緒にその光景を直接見ようと、群衆に揉まれながら寺に向かった。

 寺へと至るすべての道は大混雑で、数人の勇ましい若者たちは屋根の上を歩いていた。「聖人様」に祈る大群衆に交じって三時間以上も歩き続け、疲れ果てた末にようやく丘の頂上に通じる階段の一番下にたどり着いた。寺の本堂に至る石段はおよそ百段もあった。一段一段登って、私たちも壮大な寺の正面に到着した。そこの境内には何千人もの人々が喜び踊りながら、声高に「日蓮聖人」への祈りをささげていた。

 その光景を目の当たりにして、私たちは強烈な印象を受けた。人々は普段の慎み深く静かな生活態度とはまるで対照的に、宗教的な興奮に捕らえられ、忘我の状態にあるように思われた。ある人たちは正気を失ったように声を限りに日蓮の祝福を祈り求め、ある人たちは力いっぱい胸を打ち、ある人たちは手を合わせて地面に伏したりしていた。多くの人が財布を取り出し、彼らの英雄が祀られている祭壇下の賽銭箱に金を投げ入れていた。

 祭りは翌日の夕方まで続けられる祈りと、宗教儀式の踊りで幕を閉じる。

 明くる朝、すべての新聞は一面に大きな活字でこのニュースを報道する。「今年、大森区の日蓮聖人祭は百万もの敬虔なる門徒を集め、人々は例年のごとく狂喜乱舞して祭りを祝った」と。記事には石段を登る大群衆、大寺院、聖なる丘の全景、そしてひと晩中続いた人々の熱狂ぶりが写真で紹介されていた。

 あの行事に私が立ち会ってからすでに五十年が過ぎたが、その中でも強く印象に残った出来事と、それについての考察を紹介してみたい。なぜなら、あの夜の体験は私たちの脳裏に極めて特異なものの一つとして鮮明に刻まれているからである。

 仏教が一神教的、すなわち唯一の神を認めていることを私はまず明らかにしたい。日本の歴史において、聖性の誉れの高い優れた宗教者や偉大な説教家、僧侶の中には、私たちカトリック教会の聖人のように崇敬されていた人たちがいる。例えば日蓮は一二二二年から一二八二年まで生きた仏教僧で、当時の仏教界に重大な変革をもたらした人物である。と同時に、彼の教えに従い、その言葉を受け入れて生きる無数の信徒から愛され、敬われ、祈りの対象となっている。

 キリスト者でない日本人の宗教的メンタリティーは、「多神教的」なものとしてではなく、時として悪意のない迷信や、土俗的な祭礼を通して表現されているように私には思える。「日蓮聖人」を崇めるあの壮大な夜祭りに参加して、私はイタリアの(特に南部)幾つかの町で、その町の保護聖人を崇敬して行われている、特色ある宗教行列を思い浮かべたのだった。


  • ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より