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創立者とともに教皇謁見――福者ジャッカルド神父の生涯(46)

 厳しい戦時下において、パウロ家にはきわめて大きな明報がもたらされた。1941年(昭和16年)5月5日付けで、聖パウロ会が教区法による修道会から念願の聖座法による修道会に昇格したというニュースである。ティモテオ神父は、創立者アルベリオーネ神父の手足となって、教区法による修道会昇格(『アルベリオーネ神父』207~211ページ参照)の際にも、今度の昇格の際にも、教皇庁と折衝に当たっていたので、その喜びはひとしお大きく、感謝を込めて、日記にこう記している。

 聖なる教会は、この修道会を時代に適合し、人びとの要請に応える修道会、聖化と実り多い使徒職の修道会と公表し、推薦しています。聖霊は、本会とその会憲には聖化するちからを与え、会員たちには自分自身と他の人たちを聖化する力を与えてくださるのです。

 創立者アルベリオーネ神父は、聖座法による修道会への昇格を認めてくださった教皇に感謝し、あらためて教皇に忠誠を誓うため、さらにティモテオ神父の功績をたたえ、感謝を示すために、ティモテオ神父を伴って教皇謁見を申請していた。間もなく教皇から、1941年7月12日に私的に謁見する、という返事をもらった。ここに至るまでの経緯は『アルベリオーネ神父』234~238ページに詳述しているので、ここでは、ティモテオ神父の日記に基づいて、教皇との謁見の模様を再現してみたい。

 今朝、プリモ・マエストロ(創立者)と私に、ピオ十二世教皇様は私的に謁見してくださいました。謁見を申請した目的は、聖パウロ修道会に「聖座法による修道会昇格認可状」をくださった教皇様に感謝するためでした。教皇様は、たいへん優しく私たちを迎え入れてくださいました。青ざめて疲れていましたが、超自然の生命に生かされているという感じがしました。内的生活こそが、あらゆる霊的生活の根幹であり、糧であり、誉れであると、真心込めて勧めてくださいました。

 教皇様の目と顔を三つめていましたので、ほかのものは目に入りませんでした。その足下にひざまずいて、優しく差し出された手に接吻いたしました。教皇様は疲れ果てておられましたが、愛想がよく、気さくなわりに威厳があり、慈悲深いもの悲しさを押し隠しておられました。個人的に言いたいことがあれば、と求められました。プリモ・マエストロが私を紹介してから、「教皇様、内的生活についての勧めをお与えください」と申し上げると、教皇様は、こうおっしゃいました。

 「祈ってください! 祈ってください! 教皇のために祈ってください! この重大な時期には、それだけの責任が重くのしかかるものです。おお! 何と責任の思いこと! この並外れた責任を、どれほど感じていることか! それで、時には救霊についてさえ恐れています。……救われないのではないかと思うのです!」

 プリモ・マエストロは、それに口ををはさんで、こう言いました。

 「教皇様、あなたは祈りにも徳にもたいへん模範を示しておられます」。

 教皇様は、続けておっしゃいました。

 「ええ、そうです。責任、救霊……祈ってください!」

 それから教皇は、満足しているので、聖パウロ会に「聖師の祭日」執行権を与える好機と判断した、とおっしゃいました。また、プリモ・マエストロの申請書を二度読んで、これを承認し、モンシニョール・ダンテ師のところへ行くように指示してくださいました。教皇様は、私たちの事情をたいへんよくご存じでした。

 ジャッカルド神父は、謁見中は、ずっと感概無量のようだった。記念すべき日だったのである。アルバに帰ると、いろんなグループの黙想指導の中で教皇のことを語るのであった。その語り口からも、視線からも、表情からも、言葉以上のものが伝わったのである。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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