脱走兵への憐れみ――福者ジャッカルド神父の生涯(45)
1945年(昭和20年)5月のドイツの降伏までの数ヵ月間の話である。アルバでの市街戦が激化している最中に、一兵士が“聖パウロ会の修道院に保護してくれないか“と、院長に頼み込んできた。この青年は以前から聖パウロ会に出入りしていて、「退役した暁には、聖パウロ会の修道士になりたい」と院長に話していた。院長としては“この脱走兵の望みをかなえてあげたい“と思いつつも、悲しいかな、現実はそうはいかなかったのである。悪名高いナチス・ドイツのSS(親衛隊)やムッソリーニ指導下の共和国軍の憲兵が絶えず目を光らせていて、修道院内を一斉捜捜索したことがあったからである。
それでもティモテオ院長は、この兵士を助ける最善の道を祈り求めて、こう伝えた。
「あなたをかくまうわけにはいきません。あなたをも、この修道会をも危うい目に遭わせるからです。ここから出て、市内の、とある場所を捜してみなさい。きっと見つかりますよ」と。
この若い兵士は、驚いたように院長を眺めて、こう答えた。「でも、アルバには知人もいませんし、私を信用してくれる人なんかいませんよ。どこへ行けばいいのですか?」
ティモテオ院長は、確信をもって、こう言った。「安心して行きなさい。神様は、あなたの歩みを導いてくださるでしょう。あなたを迎え入れて、かくまってくださる方を見つけるでしょう。そして戦争が終われば(聖パウロ会の)ブラザーの仲間に入れてあげましょう」と。
この若者は出ていったが、途中で立ち止まって、どこへ行ったらよいものかと、しばし思案にくれた。ついに思い切って、とあるドアをノックした。アロイジオ女子修道院であった。ここの修道女たちはこの兵士を迎え入れて、かくまってくれたのである。この1ヵ月後に英・米の連合軍がアルバ市を制圧した結果、この脱走兵は奇しくも聖パウロ会に入会することができたのである。
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
- 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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