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思いやりのある矯正法――福者ジャッカルド神父の生涯(43)

 真心のこもった愛情があれば、相手の不足を親身になって矯正するであろう。したがって、相手のためになる矯正は、愛徳の一面といえよう。ティモテオ神父の場合、自分の受けた矯正については、前に、「叱責の受け止め方」の項でふれたが、今度は、他人への矯正の仕方がどうであったか、具体的に記述してみよう。

 アルバ修道院で雇われていた建築設計技師は、ティモテオ院長の矯正法がいかに効き目があったかを、次のように証言している。

 私はティモテオ院長のところへ通っていましたが、思いやりがあって、懐の深い神父様とお見受けしました。それで、全幅の信頼を寄せていました。いつも心優しい方で、口を開けば精神的に光となるような言葉や励ましの言葉が飛び出してくるのです。ある日のこと、院長様のところへ聖パウロ会の修道院建築設計図を持っていきました。この設計図の書き直しをさせられたのは、これで三回目でした。だれか他の人にこの設計をやらせる腹づもりがあって、時間を稼いでいるのではないかと疑ったものでした。それで、私の考えていたことを腹を割って述べ、どうぞあなたの気に入るようにしてください、と申し上げました。

 すると院長様は大笑いして、こうおっしゃっいました。「いいえ、そうではありませんよ! やり直しをさせるのは、信頼のしるしなんですよ。この信頼の元はといえば、私たちがあなたに寄せる愛情にあるのです」と。

 この「愛情」という親身な言葉を聞いて、私は自分の才能に自信を取り戻したばかりか、何度でもいい、やり直してみたい、という気になったのです。必要であれば20回でもやり直す覚悟ができたのです。

 そのほか、ティモテオ院長は若者の欠点を優しく矯正していた。休み時間に日なたぼっこしながら人の悪口を言い合うのを避け、体を鍛えさせるために若者たちに運動場を駆け回って遊ぶように仕向けていた。人の悪口を言っている人たちを見ると、ティモテオ院長はこっそり後ろに忍び寄って、地面の砂を少しすくい上げ、その人たちの首の下に流し込むのであった。それで若者たちは、この仕草をいつしか「院長さんの砂」と言うようになった。

 また、設立されて間もないローマ聖パウロ女子修道会の何人かのシスターたちが共同体の雰囲気を乱すようなことをしているのを見て、シスター・M・アマリアは激怒し、その欠点をあげつらってやりたい、という思いに駆られた。相談を受けたジャッカルド神父は、こう答えた。「地上は天国ではないし、人びとも天使ではありませんよ」と。

 同じシスターは、次のような証言もしている。ローマ女子修道院の設計技師バドリオ氏は、ゆがいたソラ豆が大好きであった。「あの人はうるさくって、私たちもほとほと困っていました。ひっきりなしに訪ねてきますし、そのたびに何か差し上げなければならなかったのです。ジャッカルド神父様は、これに答えて、こう勧めてくださいましたる『いつでも、だれにでも気に入られるようにしてあげねばなりません。むしろ、あの人が来るのを見たら、野菜畑へ一走りして、できのよい新鮮なソラ豆を一握り取ってきなさい。みんなのためになることですから』と」。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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