使徒職生活のアニメーター(使徒職)――福者ジャッカルド神父の生涯(39)
ティモテオ院長は、“使徒職の効果を上げるためには、本会の創立の原点に戻り、愛徳に燃えた生き方を再現させることである“と強調して、次のように述べている。「……使徒職の成果は、創立当初から学んできた生き方を大事にして、それを懸命に引き継いていけばいくほど、ますます上がり、満足のいくものになるでしょう。……刊行物の使徒職は、すべての使徒職に入り込み、これを啓発させ、活気づけるべきであり、その使徒たちの手で実行されなければなりません。この使徒たちは、教会を生かす道・真理・生命であるイエス・キリストの光栄になるはずです」と。この信念に基づいて、ティモテオ院長は、使徒職の次の部門を推進・発展させ、支援し、新しい事業を企画・開拓した。
A 創作・編集部門
ティモテオ院長は、創作・編集を“著述の贖罪業“あるいは“出版事業の中心部門“と位置づけ、先頭に立って執筆し、他の編集部員の労をねぎらい、物心両面の援助を惜しまなかった。そして、カトリック教義・道徳を念頭に置いて、教会や人びとに役立つ出版物を発行しようとの志から、持ち込み現行の出版選考、現行の検閲やチェックにも力を注いだ。
また、母院で映画の使徒職に従事していた二人の若い司祭を励まして、二つの映画「小さな反逆物」と「不安」を製作させた。
また、才能ある会員たちに著述してほしいと願望を込めて、どれほど次のように言い続けてきたことか! 「本会は、安い値段でよい書籍を出す普通の出版社ではなく、教会から委託された使命を、つまり高速の手段を活用することによって教会の教えを宣言し、擁護し、普及する任務をうけた聖職者修道会です。その上、特に神ご自身から教会に委ねられたみ言葉を、すべての人に、よりわかりやすく送り届ける使命をいただいています」と。ティモテオ院長は、アルバで出版されていた『司牧生活』、『良書協会』という雑誌の論説を書いていたし、さらに週刊新聞『ガゼッタ・ダバル』の編集長を1926年まで務め、その論説も書いていた。そうした中で、ティモテオ院長は、著述家である修道者が一般の福音宣教者と変わらないこと、(マスコミの)技能が使徒職活動にまで高められること、また販売・普及が神のみ言葉の種まきになること……を会員たちに悟らせるのはたいへん難しい、ということを実感した。
B 技術部門
「使徒職のために最良のものを備える」と言っていたティモテオ院長は、会員たちの寛大な協力で、母院の機械類を少しずつ新しいものに取り替え、院長在職中の十年間に新品の機械を25台も据え付けた。さらに、聖パウロのご絵の掲げてある印刷工場の中を時あるごとに見てまわり、「祈り、かつ働け」という精神に生きようとしている若い働き手に声をかけ、その士気を高めていた。
C 販売・普及部門
ティモテオ院長は、販売・普及のグループを編成し、定期的に戸別訪問をさせたり、教会や神学校、一般の学校、諸修道会などを巡回訪問させたりした。もっとも、聖パウロ女子修道会のシスターたちは、この時にはすでにイタリア全土の家庭を戸別訪問し、パウロ家の汗の結晶としての出版物を販売・普及していた。そのため、彼女たちは「慈しみ深い神のツバメ」と呼ばれていた。ティモテオ院長はこの尊い使徒職を奨励し、必要な支援を与えていた。
なお、ティモテオ院長は、教会関係や学校向けに図書目録、チラシ、パンフレット、新刊案内などを配布し、販売促進を助長した。その結果、ミニ・ミサ典書に限っていえば、1946年までに、祝日用2百万部、平日用58万部が母院から販売された。
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
- 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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