不思議な借金返済――福者ジャッカルド神父の生涯(33)
ベトレヘムはよいとして、現実の難問は土地代の支払いである。幸いにも、ベネディクト会士たちは、お金の請求どころか一銭も前金を受け取らず、分割払いの条件で土地を売却したのである。もし商売目的であったなら、工業団地になることを見越して土地の値上がりを待ち、このまとまった広い土地を簡単に手放すはずがなかったであろう。しかし、聖パウロ会側としては、ベネディクト会士たちの兄弟愛の精神に、いつまでも甘えるわけにはいかない。
いよいよ、第一回目の分割払いの日が明日に迫ってきた。ティモテオ神父は、善良なベネディクト会士たちに約束したことを守れないならば、一年間でも断食したほうがましだと腹をきめた。しかし、断食したところで、修道院の金庫に支払い金がたまるはずがない。若者たちはいつもと変わらず、その夜も寝る前の祈りを唱えて床についた。ティモテオ神父だけは聖堂に留まり。一晩中祈っていたのである。
翌朝、玄関のドアの呼び鈴がなった。ドアを開けてみると、思いがけなくアルベリオーネ神父が来ていた。おまけに、ベネディクト会士たちへの分割払いの金額を携えていたのである。これと似たことがほかにもあった。ある日のこと、支払い期日のきている借用書が幾つかたまっていたが、金庫の中は空っぽである。聖パウロ会のある会員が焦って、“助けてもらうために、心当たりに速達か電報で送金を依頼しましょうか……“と、ティモテオ神父に相談してきた。
「そんな必要はない」。ティモテオ神父は目を閉じたまま、しばらく考えて(あるいは祈って?)から、そう答えたのであった。どうして、このようなゆとりがあるのか、他の人にはわからない。しかし、ティモテオ神父には心当たりがある。ティモテオ神父は、借金のリストに一通の手紙を添えて、これを聖櫃の中に納めていた。日ごとに借金を返してゆけますように、という内容の手紙であった。もちろん、以上の祈りに加えて、草分けたちも節食・節約に励み、汗だくになって働いたのである。その返事は願ってもない時に受け取った。こうして、借金の返済はいつの間にか完了した。
ティモテオ神父は、神に導かれて歩んでいることを固く信じており、経済的に苦しくなるほどに、ますます神を信頼し、自分を当てにしないように努めるのであった。ティモテオ神父の持論によると、「人びとは絶えず口約束をしてくれるわりには、めったに実行してくれません。神様は実行してくださったから、それらの行いを理解するための言葉も与えてくださいます」というのである。
さて、次の問題は本格的な建築である。複雑な建築手続きを経て、1929年9月8日から整地作業が始められ、翌年の4月8日からは基礎工事が開始され、 1933年に落成した。これは計画全体の半分に当たる第一期工事であった。次に紹介するエピソードは、1933年に、工事現場を訪れた新婚旅行中のカップルとティモテオ神父との間に起こったことである。
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
- 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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