聖パウロのぶどう畑――福者ジャッカルド神父の生涯(31)
ローマのオスティエンス通りの修道院は、志願者の増加により手狭になり、落ち着いて祈りや黙想もできないし、使徒職も思うに任せないようになっていた。それでティモテオ神父は、自ら祈ると同時に、若者たにもこう祈らせた。「主よ、あなたは仰せになりました」。『あなたがたは雀より優れている』と。ですから、私たちにも住みかを与えてください」。それから、しばしば聖パウロ大聖堂で聖体訪問をして、この悩みを聖パウロに打ち明けていた。
これに加えて、1927年のある日のこと、この大聖堂の主任司祭でベネディクト会士のトゥリフォーネ神父(Trifone )に、思い切って次のように相談を持ちかけた。「神父様、ご存じでしょうが、み摂理によって大勢の人が私たちに任せられました。大事なのはその人たちの養成だと思います。けれど、私たちの修道院は小さいので、時間の無駄使いは多くなるし、疲れも募ります……」と。
心を打たれたトゥリフォーネ神父は、ある日、ティモテオ神父と連れ立って、聖パウロ大聖堂から約5百メートル離れたグロッタペルフェッタ通り(Via Grottaperfetta)にあるベネディクト会所有の畑と農家を見に行った。ここは、通りからなだらかな丘陵地帯になっており、その一部にはぶどうが栽培され、小さな農家がぽつんとあり、一部は牧草が植えられ、そのほかは荒れ地となっていた。ここは、「聖パウロのぶどう畑」と呼ばれていた。ティモテオ神父はこれを眺めながら、「この土地は何ヘクタール(何平方メートル)ありますか?」と尋ねた。すると「5ヘクタール(5万平方メートル、約1万5千坪)です」という答えが返ってきた。
ティモテオ神父は一瞬、1920年のアルバでのことを思い起こした。あの時、アルベリオーネ神父は、アルバ郊外の土地を5万平方メートル買っていた。ここローマの郊外の土地も五万平方メートル、聖パウロ大聖堂から歩いてわずかのところにある。ティモテオ神父は顔をほころばせて頼むのであった。「このぶどう畑を売ってくださいませんか?」と。「この土地の値打ちはあまりないし、ここから穫れるものも大したものはないですから。これを手放してもベネディクト会士たちは反対しないと思いますよ」。「それでしたら、お願いいたします。私たちに分けてください!」と、ティモテオ神父は思わず手を合わせてお願いした。
トゥリフォーネ神父と一緒に聖パウロ大聖堂に戻ったティモテオ神父は、聖遺物のある祭壇のもとにひざまずいて、この夢が実現しますようにと熱心に祈った。
トゥリフォーネ神父は、とりあえず大修道院長にこの土地の件について話したところ、大修道院長はこれをベネディクト会士たちに知らせ、同意を求めた。会士たちは喜んで土地の譲渡に同意した。ティモテオ神父は、このよい知らせをすぐにアルベリオーネ神父に伝えたところ、折り返し返事が来た。「これで、ローマに永住地を持つのが神のみ旨であると、たいへんはっきりしたと思います。『聖パウロのぶどう畑』をよく手に入れてくださいました。正確な土地価格、その支払い方法、利子については、そちらで決めてください。早く手を打つほうがいいですよ」。(1927年7月)。それで同年7月、シュスター(Shuster )大修道院長との間に、「ぶどう畑」の売買約証が交わされた。
- 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
- 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。
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