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週刊新聞の編集長――福者ジャッカルド神父の生涯(29)

 しかし、そのことでティモテオ神父の仕事や責任分担が減ったわけではない。いや、むしろ、事業を発展させるために、今までの志願者教育の仕事に加えて、教区の週刊新聞『ガゼッタ・ダルバ(Gazzetta d'Alda)』の編集を引き受たのである。そして公認の「記者手帳」をもらい、プロの資格で取材できるようになった。

 そのころ、ファシスト党の勢力が増大し、言論の自由を脅かしていた。彼らは過激な人びとを使って印刷工場や修道院の窓下でシュプレヒコールを繰り返し、大騒ぎをして出版の妨害をしていた。その影響で、聖パウロ会で印刷されていた『イル・ジョヴァネ・ピエモンテ(Il Givane Piemonte )』というトリノ週刊誌も発行停止になった。次は『ガゼッタ・ダルバ』が標的になった。しかし、聖パウロ会の若者たちは、いくら妨害にあっても黙々と仕事を続けていた。それでも、発送準備の整った新聞の束を荷車に載せて郵便局まで運んでいるところをファシスト党員たちに囲まれ、あやうく火をつけられそうになったこともあった。

 ある日の『ガゼッタ・ダルバ』誌の社説において、編集長であったティモテオ神父が、社会不安のつのる現状を包み隠さず書いたことがあった。これを読んだファシスト党のある幹部が、ある晩のこと、ティモテオ神父とサヴォナ広場(Piazza Savona)の路上で出会い、声をかけた「おまえが『ガゼッタ・ダルバ』の編集長か?」と。ティモテオ神父は「はい、そうですが……」と答えたが、この幹部は何も言わずにティモテオ神父の目をにらみつけると、いきなの平手打ちをくわせた。ティモテオ神父はそれに抵抗せず、ご受難のイエスのようにひと言も言わずにじっと耐えて、わめき散らす幹部の声には振り向きもせずに修道院に帰った。この事件についてはだれにも話さず、何事もなかったかのように同じ仕事を続けたのであった。

 当時のティモテオ神父の人となりについて、アルベリオーネ神父は次のように記している。「ティモテオ神父は優しく愛を込めて、みんなが善業に励むようにと勤め、励まし、全員を愛しています。みんなはティモテオ神父にたいへんお世話になっています。ティモテオ神父は、私(創立者)と心も魂も一つであり、本会の精神を体得しています」と。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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