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着衣――福者ジャッカルド神父の生涯(10)

 1912年(明治45年)6月、ピノトゥは神学校のジンナジオ(Ginnagio)課程を卒業し、同年10月、16歳でリチェオという哲学課程に進学した。ここでは日本の高校課程のほか、主に神学の基礎となる哲学を学ぶ。哲学では、このよの事物を前提にして、この事物の根源は何か、と論理的に問い詰め、真・善・美の根源(神)にまで思考の羽を伸ばす。この年ごろは青春の血潮に燃え、何かにつけて生意気に目立ちたい盛りであるが、ピノトゥの場合は違っていた。内面の成長、言い換えれば、キリストの考え方や生活態度に似ることがピノトゥの最大関心事であった。

 ピノトゥは同年の12月8日、無原罪の聖マリアの祭日にスータンを着衣した。後年(1922年)ピノトゥは、この日のことを印象深く次のように述べている。

 マリア様、あなたの大きな、奥深い力添えで、あの時はスータンを着衣しました。あの着衣はあなたの“贈り物“と思っています。あなたの「無原罪」の日に着衣したのですから。3年後の同じ日に、アレッサンドリア(Alessandria )で一ヵ月間だけ軍服を着ました。この二つの着衣を比べてみたら、スータンのほうが断然気に入りました。マリア様、あなたは私のスータンをお守りくださり、その意義を知らせ、その効力を保たせてくださいました。このスータンは私をあなたに結びつける絆であり、またあなたによって、あなたとともに私をキリストに結びつける絆です。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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