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十三歳で誓願――福者ジャッカルド神父の生涯(8)

 1909年(明治42年)、ピノトゥが小神学校2年生、13の時である。ピノトゥは、やむにやまれぬ内心の勧めに従い、聴罪司祭の承諾を得て、六ヵ月の貞潔の私的誓願を立て、翌年もこれを更新した。この背景には家庭内での信心のしつけ、教会や幼稚園や小学校での教育が大きく影響しているが、アルベリオーネ神父の霊的指導に負うところも大きい。アルベリオーネ神父は、神学生のために聖母月の間、また毎土曜日に、いろんなテーマでのマリアについての黙想をしていたからである。当時のことを、ジャッカルド神父は、手帳(1941年)に次のように書き残している。

 至聖童貞マリア、私は、あなたのもう一つの愛の印を得て、あなたに従いました。プリモ・マエストロ(アルベリオーネ神父)が、その部屋の壁のそばに立っていて、“貞潔の誓願を立てなさい“と私に勧めた時のことをよく覚えています。おん母よ、あなたの声がしました。実際、とっさに思いついたのは、あなただけでした……。深い満足感が胸の中をよぎりました。精いっぱい寛大でありたいという気持ちで、胸がいっぱいでした。しかし、ずっと後になって、残念に思うことがありました。聖アロイジオのように、10歳にして、一生涯の貞潔をあなたにささげなかったからです。聖アロイジオをうらやましく思っていました。この誓願は最初の、真剣なものでした。そして、誘惑や危険が迫り、先が見えず、もっともつらい時にも、誓願を破ったことは決してありませんでした。


  • 池田敏雄『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』1993年
  • 現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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