※2021年10月17日でこのホームページの更新は終了しました。最新情報は新しいホームページからご覧ください。


神殿娼婦とは?

 古代オリエント世界では、多くの地母神が存在しました。キュベレ、イシュタル、アシュタロテ、アシラ、アルテミス、アフロディテなどです。地母神の名前は地域と時代で異なりますが、基本的性格は同じで、豊饒と多産の女神です。この女神が持つ豊饒と多産が、女性の生殖力と結びつき、人の生殖力の行使が、地母神を崇敬し、その祝福にあずかることになるとの理解が生じ、地母神にささげられた神殿では、しばしば宗教的売春(神殿娼婦)が行われました。神殿における宗教的売春は、聖なる行為でした。

 地母神アフロディテ誕生の地であるキプロス島では、その信仰の中心地として、宗教的売春が奨励されていました。同様の記録がコリントのアフロディテ神殿や、アテネにも残されています。

 宗教的売春を積極的に推奨した人々と同時に、これに反対した人々もいました。その古典的代表が、歴史の父・ヘロドトスです。彼によれば、バビロンの女性は、地母神ミュリッタの神殿内で、一生に一度、必ず女神のために売春をし、その代価を神殿に納めなければなりませんでした。ヘロドトスはこの慣習を、「バビロン人の風習の中で、最も破廉恥なもの」と言っています。しかし宗教的売春は、バビロンに限らず、カナンやギリシアにも流布していました。

 旧約聖書にも神殿娼婦は登場します。旧約聖書は、神殿娼婦を糾弾しますが、これは単にモラルの問題ではなく、何よりも宗教的売春に馴染んでいたカナンの宗教に対する糾弾でした。

 ヘブライ語では、神殿娼婦が「ケデシャー」で、娼婦は「ゾナー」です。前者は「聖」の類語で、後者は「姦淫」の類語です。ギリシア語でも、神殿娼婦は「ヒエロドゥレー」で、娼婦が「ポルネー」です。このように語源的には、神殿娼婦と娼婦は別であると指摘できますが、時代の流れの中で、その区別は曖昧になりました。創世記38章のユダとタマルの物語で、タマルはヘブライ語聖書では、一貫して「神殿娼婦」(ケデシャー)と記されますが、後代のギリシア語聖書では、「娼婦」(ポルネー)と記されます。

 自然の豊饒と多産の力に神を感じる古代世界にあって、神殿娼婦は「聖なる業」に従事する女性でした。しかし時代が下って、聖と俗の領域が曖昧になった時、神殿娼婦と娼婦の区別も曖昧になりました。

回答者=鈴木信一神父


※2021年10月17日でこのホームページの更新は終了しました。最新情報は新しいホームページからご覧ください。

※一定期間後、このページはアクセスできなくなります。